吉田城は戦国時代初期において三河支配の重要拠点のひとつとして、松平氏と今川氏の間で争奪戦が繰り広げられた城。
江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たした。
かつては酒井忠次や池田輝政が城主を務めたこともある。
また、歌川広重による浮世絵木版画『東海道五十三次』にも描かれています。
幕藩体制の下で吉田城に三河吉田藩の藩庁が置かれた。
ただし、東海道の重要な防衛拠点の1つに挙げられていたため、江戸幕府の老中・大坂城代・京都所司代格など有能な譜代大名が城主に選ばれ出世城などと呼ばれていた。
本丸西側の石垣。
豊川に臨んだ地形。
川手櫓跡、鉄櫓の真下、腰曲輪西隅に位置した三層の櫓。鉄櫓の控えとして搦手よりの敵に備えた。
腰曲輪から見上げる北御多門跡。
腰曲輪跡、豊川に面した部分の防御のために造られた曲輪。石垣奥には入道櫓(二層)があった。
石垣に囲まれた広場。
散歩にはうってつけの広さです。
二の丸御殿跡、二の丸は、北側に本丸、南側に三の丸と、それぞれ土塁と堀を隔てて位置し、御殿は、城主の居住区であり政庁が置かれていた。
南御多聞跡。
城の要所要所には、櫓が設けられていました。
主なものは、「千貫櫓」、「鉄(くろがね)櫓」、「入道櫓」、「辰巳櫓」、川手櫓」、「雷(いかづち)櫓」、「着到櫓」、「評定櫓」、「太鼓櫓」などです。
本丸周囲に巡らされた堀。
大規模な堀跡。
本丸を取り囲む吉田城の堀は、大きくてかなり深いものです。
吉田城へのアクセス、行き方歩き方
住所:豊橋市今橋町3
電話:0532-51-2430
JR東海道本線、豊橋駅下車、豊橋鉄道乗り換え、豊橋東田本線「市役所前」下車、徒歩1分で三の丸口門跡。
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