千年前のデートスポットです

住吉大神は、『源氏物語』の『澪標(みおつくし)』の舞台だったことから「和歌の神様」としても親しまれています。

「澪標」(みおつくし)は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。
第14帖。

巻名は作中で光源氏と明石の御方が交わした和歌「みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな」および「数ならでなにはのこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ」に因む。

南海電車「住吉大社駅」の前にある源氏物語澪標に描かれた明石の上のかなしい恋物語の碑。

「源氏物語」<須磨>に”年に二度住吉に詣でさせけり“とあり、「源氏物語」<明石>に”年ごとの春秋ごとに、必ずかの御社に参ることなむはべる。“とあります。

このことから、明石の君は年に二度、春秋に住吉大社を参詣していたことがわかります。

京から須磨へ退居した光源氏。須磨で暴風雨に遭い、住吉の神に大願を立てます。

「源氏物語」<明石>に“「住吉の神、近き堺を鎮め護りたまふ。まことに迹を垂れたまふ神ならば助けたまへ」”とあり、光源氏と供人も神仏に祈っています。

また、故・桐壺院が光源氏の夢枕に立ち、次のように言います。
「源氏物語」<明石>より“「住吉の神の導きたまふままに、はや、舟出してこの浦を去りね」“

やがて、光源氏を迎える明石の入道の舟が訪れ、光源氏は須磨から明石へ移るのでした。
そして、光源氏は明石の君と出会い、ふたりの間に明石の姫君が誕生します。

明石から帰京した光源氏が願果たしのために住吉大社を参詣します。

「源氏物語」<澪標>に“その秋、住吉に詣でたまふ。
願ども果たしたまふべければ、いかめしき御歩きにて、世の中ゆすりて、上達部、殿上人、我も我もと仕うまつりたまふ”とあります。

内大臣となった光源氏の盛大で威厳ある行列の様子がうかがえます。
偶然、明石の君も舟で参詣に訪れていました。

しかし、光源氏一行の華やかさに圧倒された明石の君は自身の「身の程」を情けなく思い、その場を立ち去ってしまいます。

成長した明石の姫君が東宮に入内し、明石の君は娘である明石の姫君とようやく再会を果たすことができました。

「源氏物語」<藤裏葉>に“晴々しきにつけて、まことに住吉の神もおろかならず、思ひ知らる。”
とあります。

明石の君は、明石の姫君の東宮入内や明石の姫君との再会は、住吉の神の加護のおかげだと実感するのでした。

「源氏物語」の舞台である住吉大社ならではのお守り「侍者守(おもとまもり)」です。

「侍者守(おもとまもり)」の背景に描かれている絵は、光源氏と明石の君でしょうか。
恋愛成就のご利益があるのだそうです。

反橋の上から眺めた人の群れ、反橋を渡るだけでも大変です。

1月2日の住吉大社反橋の様子、カモたちが人間の所業を呆れたように見つめているようです。

「反橋は上るよりもおりる方がこはいものです。私は母に抱かれておりました。」という、川端康成の作品『反橋』の一節が本人の自署とともに記されている文学碑。

第一本宮の前の人だかり、これ以上前に進む気がしません。

公園の中央部を通っている石畳の道が潮掛道。

かつては住吉大社へ参拝する渡航者たちの参道でした。
道の両側は黒松の茂る美林だったそうです。

更に西には「高灯篭」があり、そこからは「出見の浜」と呼ばれた浜辺で、潮干狩りなどしていたそうです。

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