長岡京市 歴史めぐりコースを行く

京都府

長岡京市の「歴史めぐりコース」のハイキングに参加した。
主な目的地は神足ふれあい町家(旧石田家住宅) 勝竜寺城公園 恵解山古墳 中山修一記念館サントリー酒類株式会社 京都ビール工場 歩行距離約3.5km のコース。

「歴史とドラマの城 勝竜寺城」 「乙訓地域最大の古墳 恵解山古墳(いげのやまこふん) 」 「サントリー京都ビール工場見学」の三か所は別掲とした。

スタートは西山天王山駅。
2013年(平成25年)12月21日に開業した、阪急電鉄全線で最も新しい駅。
直上を走る京都縦貫自動車道には、当駅の開業に合わせて新たに「高速長岡京バスストップ」が設けられ、エレベーターを介して当駅の東口と連絡している。

西国街道“調子八角”の交差点付近。

西国街道とは「山崎街道」ともいわれ、摂津西宮(現西宮市)から茨木、高槻を経て、山崎に入り長岡京市から京都東寺(現南区)に至る街道。

古代は山陽道の一部で主要な幹線道路であった。

馬の池という呼び名の由来は諸説ありますが、平安時代末期、近衛府の役人であった下毛野武正が関白のお供で四天王寺参りに行く際、この池のほとりで落馬した故事にちなんで「馬の池」と呼ばれるように なったということです。

昔をしのんでか公園内に池も造られています。

国登録有形文化財、中野家住宅、母屋、土蔵は江戸末期、近郊の農家住宅と町家としての特徴を兼ね備えたもの。

当時は雨樋が無く、軒の下には瓦が敷き詰められている。

一本ものの梁は大したものだ。

しばらく歩くと西国街道の石碑がある。
この辺りが旧友岡村、旧調子村。

与市兵衛の墓。
与市兵衛とは萱野三平の義父で、この地で浪人に殺されたとか。

江戸時代に作られた歌舞伎芝居や人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』(五段目「山崎街道」の場)に登場するゆかりの地。

この墓には、与市兵衛夫妻の戒名が刻まれているとされ、忠臣蔵の根強い人気とともに花や線香を供える人が絶えない。

旧石田家住宅は江戸時代末期の建物で街道筋に店を構え、「紙屋」の屋号で和紙などを商っていました。

切妻造で三面に庇をまわし、表に出格子を並べ、白壁に虫籠窓(むしこまど)が開いており、京の町屋とは違い、間口が広く、田の字形の間取りです。

2007年9月より、文化サロン「神足ふれあい町家」として利用されています。

店の間。

座敷。

表は立派な石畳の街道。

勝竜寺は、真言三宝宗の末寺。
洛西観音霊場第十四番札所で、ぼけ封じ近畿十観音霊場第三番札所となっています。

大同元(806)年に帰朝した空海が唐の長安で学んだ青龍寺の名をとって開基しました。応和2(962)年、大干ばつ、大飢饉の際、千観和上の雨乞いの効験によって勝龍寺と改名したといわれています。

本尊は、十一面観音で、鎌倉時代作の重要文化財で、同時代作の十一面観音像、聖観音像、持國天像、多聞天像は長岡京市指定文化財となっています。

ボケ封じ観音の足元にすがっているのは子供ではありません、あなたたちです、よく見てください、爺さんとばあさんの姿をしています。

中山修一記念館、長岡京の歴史解明に一生涯を捧げ、多大な業績を残した故中山修一氏のご遺族の好意により寄付された土地及び建物を利用し、氏の足跡と発掘調査研究の成果を一目で見られる施設。

残念ながら時間がなく見学できませんでした。

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