新選組ゆかりの島原に現存する唯一の置屋 輪違屋

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今年の「京の夏の旅」の目玉ともいえるのが、「島原 輪違屋」の特別公開。
10年ぶりの公開にわくわくしつつ、行きました。
以前島原を訪れた時の記事:島原に おもてなしの「角屋」を訪ねる
日本最初の花街島原に夕霧太夫を訪れる

なつかしき やなぎのまゆの春風に なびくほかげや さとの夕ぐれ
                                           蓮月尼
島原の出口の柳を見て (大田垣蓮月 1791~1875)

入り口の大門では蓮月の歌が迎えてくれます。

大田垣蓮月関連の記事:大田垣蓮月が眠る西方寺
太田垣蓮月隠棲の地神光院
悲運の歌人 屋越の蓮月こと 大田垣蓮月

時あたかも九州島原の乱の直後であったため、それになぞらえて「島原」と称されるようになった。
正式名称は「西新屋敷」という。

最盛期は1,000人もの女性が働いていたという花街も、都の中心が東京に移って衰退し、今では入り口の大門、資料館となった角屋、ただ一つ営業している輪違屋だけが、当時の面影を残すのみとなった。

輪違屋の創業は元禄元年(1688年)、置屋として始まる。
置屋として創業当時の名は「養花楼」。
お茶屋兼業は明治5年(1872年)より。

現在の建物は安政4年(1857年)に再建されたものであり、明治4年(1871年)にほぼ現在の姿となった。

輪違屋の行灯(あんどん)。
夕霧太夫を偲んで清凉寺で夕霧祭には輪違屋の太夫が出演です。

輪違屋の名のごとくに、2つの輪が知恵の輪のよう。

二階への階段その階段の手すりが見事なサルスベリが使用されています、残念ながら二階は撮影禁止で画像はありません。

二階にある、本物の大傘を襖にはめこんだ「傘の間」、撮影禁止につき、ポスターの画像を拝借。

苔むした庭も素晴らしい。

組み木の縁側も見事。

坪庭の灯籠。

この床の間の書は、輪違屋さんの以前のご当主さんの筆。

かって太夫が愛しい人に宛てた手紙の下書きが襖に・・
襖に貼られているのは、当時の太夫が常連さんに宛てて書いたという手紙。
恋の歌が流暢な字で綴られています。

天井を見上げると波のような木の形になっていたりして現代の簡素な天井とは違い凝っています。

この床の間のたぬきさん、誰の作か不明です。

近藤勇の書 本名の藤原昌宣 書とあります。

屏風の右側の書は、婦人色を好む、年季が明け16年経ち白髪が混ざっているのにここで働いている、の謂。

この詩の内容から見ると近藤は吉原のイメージを強くもっていたようで、実際は吉原と違い、島原は折檻などもなく女性が働き易い場所で、年季が明けても出入りが自由であったという。

キリシタン灯篭。

明かり取り窓 縁側の軒にあります。

「輪違屋」という名前は明治5年からの屋号で、その前は「養花楼」と云っていた。

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輪違屋へのアクセス、行き方歩き方

住所:京都市下京区西新屋敷中之町

お問合せ先 京都市観光協会 075-752-7070

JR嵯峨野線「丹波口」駅下車徒歩約7分
市バス206系統(千本通方面行)で「島原口」下車徒歩約7分、もしくは市バス205系統(西大路通方面行)で「梅小路公園前」下車徒歩約7分

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