細川藤孝の築城 丹後の舞鶴城(ぶがくじょう)

田辺城(たなべじょう)は京都府舞鶴市にある戦国時代から江戸時代にかけての城。
別名は舞鶴城(ぶがくじょう)。
「舞鶴」の地名は、田辺城の別称「舞鶴城」(ぶかくじょう)に由来しています。

舞鶴若狭自動車道の福知山インターを過ぎると石原(いさ)トンネルを抜けて由良川を渡る。
その前方、私市丸山トンネルの上方にドーム状の建造物?が見えてきます、 由良川流域では最大?の円墳私市丸山古墳です。

中国自動車道が抜ける三木市の有安古墳が、N.T.Pトンネル工法により 破壊を免れ保存されていますが、自動車道建設計画で発掘された丸山古墳もその保存のため、トンネル工事の工法が切り土からトンネルへと設計変更されたといいます。

マス鶴が近づいてきました、前方に舞鶴市を東西に分ける五老岳にそびえ立つタワーが見えてきます。

タワーからの展望は、近畿100景第1位に選ばれた舞鶴湾の美しいリアス式海岸や舞鶴市街地、国際ふ頭である舞鶴国際ふ頭が一望することができます。

城下町の駅前広場には、大きな“太鼓櫓(たいこやぐら)”の時計塔が待ち受けています。
正午と午後5時に太鼓と音楽で時を告げ、夜には広場を城壁のように囲むガラスブロックに明かりが灯ります。
田辺城の城下町にふさわしい趣のある憩いの場です。

西舞鶴駅、JR西日本の舞鶴線と、KTRの宮津線の2路線が乗り入れ、接続駅となっている。宮津線は当駅が起点となっている。

舞鶴城(田辺城)大手門。

舞鶴城(まいづるじょう/ぶかくじょう)は日本の城の雅称の一つで以下の城がこの雅称を持つ。

三春城(陸奥国、福島県田村郡三春町)
太田城(常陸国、茨城県常陸太田市)
甲府城(甲斐国、山梨県甲府市)
丹後田辺城 (丹後国、京都府舞鶴市)
福岡城(筑前国、福岡県福岡市)
柳川城(筑後国、福岡県柳川市)
唐津城(肥前国、佐賀県唐津市)
津奈木城(肥後国、熊本県葦北郡津奈木町)
村上城(越後国、新潟県村上市)
国分城(大隅国、鹿児島県霧島市国分中央)
米沢城([出羽国]]、山形県米沢市)

JR舞鶴線 西舞鶴駅から北へ徒歩10分。
「二の丸」交差点の北側に立派な櫓門が見えてくる。

ここは舞鶴公園となっていて、城内に田辺城跡、資料館などがある。
園内の建物はすべて模擬建造物。

櫓門の北隣には二層櫓や堀も再建されている。
こちらもすべて模擬。
櫓門は歴史博物館、二層櫓は文化資料館となっているようだ。

彰古館には、市指定文化財「糸井文庫」の錦絵資料から「酒呑童子」、「安寿と厨子王」、「浦島太郎」などを展示しています。

田辺城を築城した細川藤孝(幽斎)の銅像。

細川家は室町幕府の管領を務めた名家で、細川藤孝(幽斎)は室町幕府第十五代将軍足利義昭の家来でしたが、義昭が信長を討とうとした際に、信長方につき、その後明智光秀の与力として、丹波国丹後国平定に力を尽くした恩賞として、天正八(1580)年に織田信長から丹後国を与えられ、子の忠興とともに、この田辺城を築城しました。

博物館を出る。
二層櫓の東側には復元された本丸井戸跡がある。

説明板によると、背後の本丸石垣の半円形のくぼみを調査したところ細川家時代の井戸跡が見つかったためここに復元。

井戸跡の上から区画の礎石が見つかったことから埋めて屋敷を建てたとされる。

細川幽斎《細川藤孝は隠居後、幽斎玄旨と号する》ゆかりの庭園。
庭園名は幽斎(ゆうさい)の和歌から付けられた。

慶長5年(1600)7月、関ヶ原の戦いにさいし、留守を預かる幽斎が西軍の福知山城主小野木氏らに包囲され、50余日籠城。田辺城に籠城した幽斎が万一討ち死にすれば、歌道の奥義が廃絶することを憂慮した後陽成天皇は、勅使を送り幽斎に開城を勧めた。

しかし、幽斎は、開城は武人の本意ではないと固辞し、勅使に古今伝授の秘伝書と和歌一首を託した。

その和歌一首が下の歌です。

「いにしへも今もかはらぬ世の中に こころの種を残す言の葉」

変らない悠久の時の流れの中に、和歌は言葉によって心の種を残していくものです。(そのように私の歌と心も残るならば有り難いことです)

この秘伝書と和歌を伝えた場所が、心種園(しんしゅえん)に建っている「古今伝授の碑」のところと伝えられている。

のちの城主牧野親成(まきのちかしげ)は、その歌にちなんで城内の庭園に「心種園」と名づけた。

近くには、細川幽斎が秘伝書を渡す際に詠んだという歌碑が建っている。

「古(いにしえ)も今もかわらぬ世の中に 心のたねを のこす ことの葉」。
悠久の時を超えて和歌は心の種を残すものだ、私の歌と心もそのように残っていけば有り難い、というような意味合いとのこと。

天守台跡の石垣 古式穴太積で天正年間の築城当時のものと言われる、そのころは周囲には水掘があったという。天守台の広さは20×30メートルほどで、一軒の民家が建てられるほどの面積。

田辺城城郭復元図。
現在の地図と当時の縄張りを比較し易いよう重ねてあるが、ちょっと見づらい。

堀は内側から本丸堀、内堀、外堀と3重になっており、現在の模擬城門は本丸堀の上に建っている。

田辺城周辺のジオラマ。

天守台跡発掘作業の説明。

戦国大名の婚姻関係図、手作りのもので中々の労作だ。

京極 高知(きょうごく たかとも)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての大名。丹後宮津藩(宮津城)初代藩主。
高知流京極家の祖

近江守護の名門京極高吉の次男として生まれる。
早くから豊臣秀吉に仕え、その功により羽柴姓を許されて羽柴伊奈侍従と称す。

文禄2年(1593年)、義父毛利秀頼の遺領を(秀頼の嫡男秀秋を差し置いて)任され、信濃飯田城主として6万石を領し、従四位下侍従に任ぜられた。

また、領内にキリスト教の布教を許可し、のちに自身もキリシタンとなっている。文禄3年(1594年)、10万石に加増される。

秀吉死後は徳川家康に接近し、慶長5年(1600年)には岐阜城攻めに参戦し、関ヶ原の戦いでは大谷吉継隊と戦うなどの戦功を挙げた。

戦後は丹後12万3000石を与えられ、国持大名として京極丹後守を称した。田辺城に入城後、宮津城に拠点を移す。

その後、領地は嫡男・高広、三男・高三、甥で婿養子の高通の3人に分封し、宮津藩・田辺藩・峰山藩の3つに分割された。

嫡流は宮津7万8200石の領主となったが、3代で改易となる。
その後、子孫が高家として取り立てられ、幕末まで続く。

田辺藩京極家は3代で但馬豊岡へ転封となった。
峰山藩京極家は幕末まで転封もなく、幾人もの若年寄を出すなど譜代格の大名として幕政にも参画した。

舞鶴市のマンホールの蓋、五老ケ岳から見た舞鶴湾のザイン。
舞鶴湾の眺めは、近畿100景の1位です。
湾内に北海道定期航路の大型高速フェリーを、手前には市の花の「ツツジ」を配している。

細川氏は、多くの大名の中でも、鎌倉、室町から江戸、現代まで名門として続いた希有な家である。

どちらかというとしたたかに情勢分析をし、器用に要領よく生き抜いたというイメージ。

初代細川藤孝は、足利一門の三淵晴員の子として、(実質は、12代将軍義晴を父とし、清原家から下女奉公した母との息子)管領家の細川家へ養子に入る。

『細川』と言う名跡は、血縁家門の途絶えた”名門の姓”で、鎌倉、室町時代は家老職を賜る名跡で、つまりは、下女奉公の生んだ将軍の胤に、『細川』の名高い姓を継がせて、次代の将軍補佐として格を整えた。

細川藤孝公の母の実家は清原家で、代々学者の家系。
京都吉田神社(吉田兼好につながる)系統の長岡神社神主の家系。

13代将軍義輝に仕え(兄の政治補佐)、武術と軍学を学び、兄をリードする責を負わされます。

将軍義輝が松永久秀に襲われたると、(下克上)、朝倉義景を頼り、14代将軍を押し立てて、一方で、14代将軍義昭が信長に反旗を翻すと、”将軍補佐役”の職を放棄して、”朝倉家”頼りから、信長支持にスイッチ。

信長の家来の丹波方面の大名へと転身していく。

明智光秀と細川藤孝は気心が通じ、親交が厚く、にも関わらず、本能寺の変の緊急事態の時には、明智光秀の八方塞的挙兵に共鳴味方せず、頭を剃って冷静に対処、入道し、幽斎と名乗る。

細川家は、情に流されない冷静な情勢分析に長けて、混乱戦国機にも惑わない、生き残り術に長けている家系と言う評価が高い。

平時は文人=学者の顔を持ち、三条西実条(にしさねえだ)から、古今和歌の難解な語句の解釈を、九条タネミチから、源氏物語のそれを伝授されます。

(当時、歌の道も流派流儀の『奥義』で粉飾されて、物々しい伝授作法があった様子。
閉鎖的な古今伝授の間で、余人を排してひそかに伝授される。)

”古今和歌集、源氏物語への奥義解釈”は、細川幽斎個人の造詣、文才としてだけでなく、国家的な財産(無形文化財)であった。

後陽成天皇は.、関が原の合戦の時、幽斎公が丹波田辺の戦国大名として500の人数で、田辺城を守り、敵勢15,000人に攻め囲まれて孤立無援になった時、幽斎の命とともに、国家的な文化財産が失われるのを恐れ、幽斎の延命を図る仲裁に入ります。

普段余り戦の成り行きに介入しない『天皇』が戦場に分け入り仲立ちされます。

関が原の主戦場で徳川方が勝利したため、石田方の丹波勢力は消滅しましたが、天皇は、幽斎から弟の八条の宮への奥義解釈の伝順を申しつけます。

その時の、その伝授の為の書院が桂離宮に江戸期を通じて保存されて、残存し、大正元年に水前寺成趣園に移設され、《古今伝授の間》(こきんでんじゅのま)として保存されます。

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舞鶴城へのアクセス、行き方歩き方

住所:京都府舞鶴市字南田辺15-22
電話:0773-76-7211 田辺城資料館

舞鶴線「西舞鶴駅」から徒歩5分

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