祇園祭2014 後祭の山鉾巡行・花笠巡行

京都府

京都・祇園祭で、49年ぶりに復活した後祭の山鉾巡行が24日、京都市中心部で行われた。
場所をうまく選べは山鉾と花笠の両方が見られる。

山鉾と花笠の両方が見られる最良の場所は市場河原町交差点、9時過ぎに到着したが既にいい場所はほぼ埋まっています。
辛うじて交差点南東角に場所を確保。

10時前には河原町通りの南側歩道は通行止めとなり、観客に開放された。

10時20分、八坂神社を出発した花笠巡行列が交差点にさしかかった。

最初は、子供神輿行列です。

続いて神饌行列、神饌とは『神様のお供え物』を意味します。
彼女たちは、この後、八坂神社でお供え物を捧げる役割を担っています。

勇壮な「祇園太鼓」を鳴らして進みます。

次に登場するのが『馬長(うまおさ)稚児』。

祇園祭の起源である『祇園御霊会』において鉾は今より地味な存在だったみたいで見物客の多くは、この『馬長』目当てだったそうです。

昔も、このように美しく着飾った子供達を馬に乗せて歩いたそうだ。

お供のお母さんと視線が合っちゃいました、一瞬和やかな雰囲気が漂う。

折から通りかかった獅子舞、おばあちゃんに頭を押されてガブリ。

祇園囃子。

きれい所が続きます、花傘娘、京都・準ミスきものの花傘娘達。
どうも観客席が気になるようです、キョロキョロ、キョロキョロ。

織商鉾(おりしょうほこ)です。
『京都・ミスきもの』に選ばれた4名のお嬢さんたちです。。

今年は宮川町と祇園甲部が奉仕、この後八坂神社の舞台で舞が奉納されます。

この酷暑の中、なんとも笑顔がいい、さすがサービス業のトップ。

鷺踊、笠鷺鉾の消滅と共に鷺踊も途絶えてしまいましたが、寛政年間に津和野藩に伝わっていた鷺踊を元に復興し、現代になって子どもたちが踊るようになりました。

花笠巡行列が通り過ぎて約10分、こんどは烏丸御池を9時30分に出発した山鉾巡行列が北から交差点にさしかかります。
ここで「辻(つじ)回し」が行われ、山鉾巡行列は四条烏丸へ向かいます。

まず最初に現れたのが「くじ取らず」で、後祭の巡行の1番目に行く橋弁慶山 (はしべんけいやま)

弁慶と牛若丸が五条大橋で対面する場面を現しています。

東からの花笠巡行列と北からの山鉾巡行列がこの交差点で10分足らずのタイムラグですれ違うという、なんともすごい演出です。

花笠巡行列はこの後寺町通を北へ向かい、寺町御池通で折り返し、八坂神社へ帰ります。

続いて北観音山 (きたかんのんやま)「くじ取らず」で、後祭の巡行で橋弁慶山に次いで2番目を行く。
「辻(つじ)回し」はかなりの荒業、思わず力が入る。

八幡山 (はちまんやま)、八坂のお祭に八幡宮を山に祭っているのは不思議だが、当時から八幡宮信仰が厚かったということが伺える。

身軽さを武器に何度も「辻(つじ)回し」をやり、観客を沸かせる。

南観音山 (みなみかんのんやま)「くじ取らず」で、後祭の巡行の6番目を行く。
路面には竹が敷かれ、水がまかれます。

車軸にはロープが巻かれ新たに加わった音頭取りの合図で曳手が直角方向へ曳く。

ここは車方の仕事場、後輪の後ろでは車止めが控えている。

音頭取りの合図とともに一斉に回転させる、力の入る一瞬。

殿は大船鉾 (おおふねほこ)、元治元年(1864年)の蛤御門の変により一部を残し焼失、150年ぶりに巡行に復帰。
「くじ取らず」で、後祭の山鉾巡行の最後を行く。

蒸し風呂のようなこの日は前祭の23基より少ない10基が都大路を進んだ。
沿道には見物客6万人(正午現在、京都府警調べ)が詰めかけたそうだ。

都大路の暑い一日は終わった。