3度に渡って築城された伏見城

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伏見城は3度に渡って築城され、最初の城は朝鮮出兵(文禄の役)開始後の1592年(文禄元年)8月に豊臣秀吉が隠居後の住まいとするため伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)に建設を始めた。

このとき築かれたものを指月伏見城、後に近隣の木幡山に再築されたものを木幡山伏見城と呼んで区別され、さらに木幡山伏見城は豊臣期のものと、伏見城の戦いで焼失した跡に徳川家康によって再建された徳川期とに分けられる。

伏見城花畑跡は1964年(昭和39年)に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が建設され、園内には洛中洛外図に描かれた伏見城を参考にして5重6階の大天守と3重4階の小天守、櫓門などを伴った模擬天守が6億円(当時の金額)をかけて鉄筋コンクリート構造で造られた。

2003年1月、同遊園地は経営母体である近鉄によるリストラの一環で閉園したが、模擬天守は京都市民の運動によって伏見のシンボルとして保存されることとなり無償で京都市に贈与されたほか、敷地を含めて同市により伏見桃山城運動公園として整備された。

ただし、模擬天守については耐震基準を満たしていないことから内部非公開となっている。

模擬大天守、小天守>

伏見は東山から連なる丘陵の最南端に位置し、南には巨椋池が広がり水運により大坂と京都とを結ぶ要衝の地であった。

天守閣の西側に倒されている「第16師団司令部」と書かれた巨大な石碑。

「昭和七年(1932)四月二十五日」
「陸軍第一六師団司令部」
「歩兵第九連隊」とか書かれています。

木幡山城の跡には明治天皇陵が築かれ遺跡は宮内庁の管理になっています。

もう少し管理していただければ掘割等も見えるのだが・・・・・

涼しい天皇陵の中を進む、ただ木が繁るに任せてあり眺望はきかない。

また伏見城の城下町には「毛利長門東町」など人名の屋敷跡と町名表示が同じであった場所が散見できる。

御香宮神社、表門は伏見城の大手門を移築したものとされている。

撤去された旧伏見城の石垣に使用された石。
桃山天満宮社殿の脇に残されている。

御香水、伝承によると、境内より良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治ったので、時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったという。

本殿の脇にある御香水は近年になって掘削されたもので、日本百名水にもなっている。
この水は、家康公の 9男・義直、10男・頼宣、11男・頼房が産湯に使った水でもある。

「伏見の戦跡」 の 碑、鳥羽・伏見の戦いの際、ここ御香宮神社には薩摩軍の部隊が置かれ、南に位置する伏見奉行所を攻撃した。

徳川期の木幡山伏見城については廃城に際して天守を始め多くの建物が他の場所に移築され、二条城天守のほか、特に福山城(広島県福山市)には徳川幕府の西国鎮衛の目的もあり、櫓、城門、殿舎、湯殿、多聞櫓、土塀など多くの施設が移されている。

なお、伏見城の建物ではないが「伏見」の名称を用いた建物として江戸城と大坂城の伏見櫓がある(ただし、その名称から伏見城の遺構との言い伝えが生まれている)。

移築の伝承を持ち現存する主な施設を以下に挙げる。

城門
御香宮神社(伏見区)表門(大手門を移築)
西本願寺(下京区)唐門
二尊院(右京区)総門
観音寺(上京区)山門
瑞宝寺旧山門(兵庫県神戸市)
浄照寺(奈良県磯城郡田原本町)表門(伏見城高麗門を移築)
本山寺(大阪府高槻市)中の門


福山城(広島県福山市)伏見櫓(重文・解体修理時に発見された墨書きにより伏見城よりの移築が確定された)
膳所城
岸和田城
尼崎城(非現存)

殿舎
金地院(左京区)方丈(重文)
日暮御殿 – 都久夫須麻神社(滋賀県長浜市・竹生島)本殿(国宝)

その他の建造物
諸侯控え室 – 三渓園(横浜市中区)
移動式能舞台 – 福山城(広島県福山市)、現在は沼名前神社(広島県福山市・鞆町)(重文)
茶室 – 高台寺(東山区)時雨亭、傘亭(ともに重文)
軍議評定所 – 渡辺山守綱寺(愛知県豊田市)本堂

高台寺(東山区)時雨亭、傘亭の記事はこちら高台寺鷲峰山 ねねの寺

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伏見城へのアクセス行き方歩き方

住所:京都府京都市伏見区桃山町大蔵45

JR西日本 奈良線 桃山駅 → 徒歩約15分
近鉄京都線近鉄丹波橋駅もしくは京阪本線丹波橋駅から徒歩20分

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