西郷隆盛と月照和尚の密会の場所 成就院

京都府

成就院が特別公開されていたので行って見た。
京都の3つの成就院の雪月花庭園の一つの「月の庭」があることで有名ですが残念ながら建物庭園すべてが撮影禁止でお見せできないのが残念。

庭園自体は美しい庭園ですし、歴史的にも気になることがたくさんあるので春秋の特別公開の時に訪れるといいでしょう。

参道の途中の右手大日如来・千手観音・地蔵菩薩や二尊仏など多種多様の約1000体ほどの石仏が群集して祀られている。
鎌倉時代のものもある。

かつて、各町内の大日堂や地蔵堂などに祀られて、夏に地蔵盆会が行われてきた石仏、明治維新、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって清水寺に運び込まれたきたもの。

表の清水寺の喧騒がうそのような静かな環境です。
緑にちょっとした涼を感じます。

平安時代、807年の創建といい、当初は本願寺と称したという。
かつては清水寺の勧進坊だった。

また、室町時代、1484年、応仁・文明の乱(1467-1477)で焼失した清水寺を復興した願阿により創建されたという。
その宿坊(願坊、願所)となり、以後、後継者は清水寺の本願職を引き継いだ。

その後、成就院と名付けられ清水寺塔頭の一つになる。
室町時代、1510年、第104代・後柏原天皇の勅願寺となる。
江戸時代、1629年、成就院より出火し、清水寺伽藍の大半も類焼する。

その後、東福門院(1607-1678)の命により再建された。
1639年、書院が再建されている。
1774年より約10年にわたり、成就院住持を巡り、清水寺と成就院は対立した。

境内は撮影禁止なのでせめてポスターの写真なり見ていただきます。
月の庭(国の名勝)
書院の縁先から眺める借景式庭園、本来は池泉回遊式庭園。

心字池に映る月影が見事なことから「月の庭」と称される。
庭園奥の谷境の生垣を低くして、向かいの高台寺山を借景とし、山腹には石燈篭が置かれ、遠近感を出す工夫がされている。

烏帽子石(えぼしいし)や、蜻蛉燈籠(かげろうとうろう)、手鞠燈籠(てまりとうろう)、籬島石(まがきじまいし)などの石造の珍品などが巧みにおかれている。

縁先に置かれた「誰が袖手水鉢(たがそでちょうずばち)」は豊臣秀吉が寄進した手水鉢。
五葉松・佗助椿なども植えられている。
西庭には、珍しい三角灯籠が置かれている。
江戸時代初期の作庭。

相阿弥の作庭で小堀遠州の補修とか、松永貞徳の作庭ともいわれている。
京都の3つの成就院の雪月花の庭園のうちの「月の庭」(妙満寺成就院の「雪の庭」、北野成就院(現存せず)の「梅花の庭」)。

成就院は、西郷隆盛と月照和尚が密会した場所とされています。
幕末の混乱期、薩摩藩主である島津斉彬(しまずなりあきら)が急死。
倒幕をかかげ、京都で待機していた西郷隆盛(吉之助)はこの知らせを受け、自分も後を追って死のうと決意します。

これを思いとどめさせたのが、月照和尚(成就院第24世住職)です。

このとき幕府では、井伊直弼が大老に就任。
尊王派や疑いのある者を次々と牢獄へ送り込みます。(1858年 安政の大獄)

尊王派であった月照和尚にも危険が迫ってたため、西郷は薩摩藩に和尚の保護を要請します。
しかし薩摩藩では、幕府の手が延びることを恐れて受け入れを拒否。
和尚を処分するよう命じられた。

西郷は、錦江湾で和尚と入水自殺を図りました。
西郷は助かり、和尚は亡くなっています。

参考資料
清閑寺にも密会の場所、茶室「郭公亭」(かっこうてい)がある。小督局悲恋の地 清閑寺

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成就院へのアクセス、行き方歩き方

住所:京都市東山区清水1丁目294
電話番号:075-551-1234
FAX:075-551-1287

京阪電車祇園四条駅・阪急電車河原町駅下車
市バス清水道/五条坂から徒歩約10分