道頓堀の雨に別れて以来なり
岸本水府
親水性の高い遊歩道からは、これまでとは違った川の風景、まちの風景が楽しめます。
大阪シティエアターミナルビル [愛称:OCAT(オーキャット)]へ通じる地下通路。
西日本最大級のバスターミナル全国各地への都市間高速バスや、関西国際空港行き・伊丹空港行きのリムジンバスの発着機能を持つ一大交通拠点があります。
湊町リバープレイス
大阪市の都市構造再編プロジェクト「ルネッサなんば」のウォーターフロントゾーンとして、旧国鉄湊町駅(現 JR難波駅)の貨物ヤード跡地に開発され、2002年に開業した。
道頓堀川を航行する遊覧船が使用する湊町船着場に接しているほか、JR難波駅や大阪シティエアターミナル (OCAT) およびバスターミナルからも至近距離にある。
また、浮庭橋を渡ると南堀江方面にもアクセスが可能である。
地上に出るとユニークな建物が、どこからも目立ちます。
深里橋(ふかりばし)から西を見る。
浮庭橋(うきにわばし)、湊町リバープレイスのウッドデッキが見える。
浮庭橋(うきにわばし)は,大阪市浪速区湊町と西区南堀江の間の道頓堀川に架かる人道橋。
北側は若者向けの店舗が並ぶ南堀江、南側は複合施設湊町リバープレイスやJR難波駅、大阪シティエアターミナルがある。
両岸の主塔からケーブルワイヤで鋼床板を吊る構造になっている。
橋上は芝生や植栽、橋桁はツタにて緑化され、通行だけでなく憩いの場としても用いられている。
湊町リバープレイスのウッドデッキでは輪になった若者の姿をよく見かける。
東を見やると阪神高速、深里橋(ふかりばし)が見える。
1843年(天保14年)には遊所が置かれ、深里(ふかり)と呼ばれた。
遊所は1871年(明治4年)に廃止されたが、現在も当町から西道頓堀川に深里橋という四つ橋筋の橋が架かっている。
この橋が初めて架けられたのは道頓堀川が開削(元和元年 1615)されて間もない頃で、当初は難波橋あるいは下橋と呼ばれた。
大黒橋という名が歴史に登場するのは元禄時代のことで、この橋が木津の大黒神社(大国主神社)の参道にあたるところからその名が付けられたと推察される。
江戸時代初期の記録には、橋長42.7m、幅員2.4mの木橋であったとされている。
道頓堀商店街の入り口。
アメリカ村の南に位置するこの東西の通りは現在道頓堀2丁目となっていますが、町名変更以前は『九朗右衛門町』と呼ばれていました。
江戸時代には北岸の宗右衛門町とこの地は二大花街として栄えました。
現行の町名はかつての二ツ井戸町など堺筋以東も含んでおり、御堂筋以東が1丁目、同以西が2丁目となる。
平成16年12月に戎橋から太左衛門橋間に完成した遊歩道(愛称名:とんぼりリバーウォーク)は、片側8m程度の幅で上下2段構造となっています。
このような親水性の高い遊歩道からは、これまでとは違った川の風景、まちの風景が楽しめます。
道頓堀ホテル、お馴染みのアモイ像。
レストランの庭に佇む少しこわもての人形。
道頓堀橋の西側にある西道頓堀新戎橋の橋のたもとに出世地蔵尊が有る。
江戸時代に宗右衛門町とこの地(九郎右衛門町)は二大花街として活気を帯び、多くに人が出世を願って地蔵尊に訪れるようになったそうです。
太平洋戦争の戦乱で行方不明になっていましたが、戦後この地蔵尊が土の中から見つかり新しく「出世地蔵尊」と名づけられ、この地に祀られています。