厳島神社 清盛が造営した威風堂々たる神々の社

久安2年(1146)、29歳で安芸神に任ぜられ、厳島神社を深く信仰。
仁安3年(1168)ごろ、清盛により社殿が造営された。

夢枕で「厳島の宮を造営すれば、必ずや位階を極めるであろう」(平家物語)とのお告げを聞いたためだと伝えられる。
その寝殿造りの粋を極めた荘厳華麗な建築美は、まさに世界遺産にふさわしい。

JR宮島口桟橋からJR西日本宮島フェリーで約6分の海上の旅。
もちろん青春18切符が使えます。

フェリーは早朝5時から22時まで運行されており、夕日に染まる大鳥居を撮りたいという願望も叶えてくれる。

宮島に近づくと大きく弧を描いて大鳥居に最接近のサービス。

厳島の戦い(いつくしまのたたかい)は天文24年10月1日(1555年10月16日)に、安芸国厳島で毛利元就と陶晴賢との間で行われた合戦。
織田信長の桶狭間の戦い・源義経の鵯越[ひよどりごえ]の戦いと並び日本三奇襲戦の一つ。

天文20年(1551年)に大寧寺の変で大内義隆を討ち、大内氏の実権を握った陶晴賢と対立するに至っていた毛利元就は同年、厳島の宮尾に城(宮尾城)を築いた。

これは厳島が周防から安芸へ水運を利用する際に重要な位置を占めており、そこに城を築くことで水運路を扼することを狙ったものだったが、同時に晴賢の軍を厳島に誘引するいわば囮の役割も果たしていた。

江戸時代のはじめ、全国を行脚した儒学者、林春斎が「日本国事跡考」において、 卓越した三つの景観とした、日本三景。

松島、天橋立、宮島は海の青と松の緑が対象の妙をなし、その美しさは人々の心の琴線に触れる。

厳島のシカとサルは、フェリー桟橋付近にも現れたり、マスコットキャラクターとして図案化されたりして、「宮島のシンボル」ともいうべき知名度がある。
厳島のシカは神の使い「神鹿(しんろく)」として神聖視されている。

拝殿前の回廊の屋根裏は朱塗りの木組みが軽やかで開放的な印象。
廻廊は異常水位でも壊れないよう、隙間が。

海水の圧力を弱め、廻廊に上がった海水を流す役目をする。
廃仏毀釈の時代には、白木になったこともあるという。

厳島神社のみどころの一つ「鏡の池」。
社殿のすぐ近くの砂浜に水が湧き出る丸い池がありる。(この写真の右側の丸い池)
この池は干潮時に火災が発生したときの消火用の水の役割を果たしたと言われる。

この池に映る月は最も美しいと言われていて、水面に映る秋の名月を詠じた古歌が多く残されている。

卒塔婆石
喜界が島に流された平康頼が卒塔婆1000本を海に流し、その内の1本が厳島神社に流れ着いたという平家物語にも出てくるエビソード。
その卒塔婆が流れ着いた石がこれといわれている。

近くには卒塔婆がきっかけで許された平康頼が、赦免後神恩に感謝して奉納したと伝わる康頼灯籠もある。
残念ながら観光客の入れないエリアなので遠くから見るだけ。

海から大鳥居、拝殿まで一直線
海から大鳥居、灯篭、火焼前、高舞台、拝殿、幣殿、本殿、不明門が一直線に並ぶように整列。

背後に神が降臨すると考えられる弥山が控えている。
自然に神を見る日本古来の信仰をそのまま形にし、自然美と人工美を調和させている。

この石段を登りきったところに大聖院がある。

大同元年(806年)に空海が弥山を開基して以来、1200年の歴史を持つ宮島の総本坊。

国の重要文化財 林家住宅(上卿屋敷)
林家は古くから厳島神社の社家{上卿職)で、祭事の時、朝廷から差し遣わされる奉幣使「勅使」の代参を務めた神職の家で現在も住んでおられる。

主屋正面の意匠や表門など、いかにも社家らしい雰囲気を持ち、昭和53年国の重要文化財に指定された。

棚守屋敷跡
江戸時代、厳島神社は神仏習合(しんぶつしゅうごう)の社として信仰を集め、その菅理・運営は棚守(たなもり)・座主(ざす)・大願寺(だいがんじ)によって行われていた。
棚守は、神職を代表して神事を行い、自らも舞楽を舞っていた。

戦国時代の棚守房顕(ふさあき)は、大内義隆(おおうちよしたか)や毛利元就(もうりもとなり)の御師(おし)を努め、厳島神社の再興に尽力し、厳島神社高舞台(たかぶたい)の擬宝珠(ぎぼし)には「棚守左近将監(さこんしょうかん)房顕 天文15年(1546年)の銘文がある。

この屋敷は、広島藩主などの来島時の宿泊所となり、邸内には能舞台もあったといわれる。
また、ここから大聖院(だいしょういん)にかけての石垣の上には、祝師(ものもうし)・上卿(しょうけい)などの神職や、仏事を行った社僧(しゃそう)、東泉坊(とうせんぼう)・執行坊(しゅぎょうぼう)・修善院(しゅうぜんいん)・多聞坊(たもんぼう)などの寺院が並んでいた。
(現地案内板より)

干潮によって大鳥居まで干上がった状況。
宮島のシンボルになっている大鳥居は、海の上に置かれているだけ。
何故浮いたり動いたりしないのか。

秘密は、鳥居の上の屋根の下の箱状の横木。
この中にこぶし大の石が約7トン入っており、総重量は約60トン。
この重さで、どっしりと立っていられる。

清盛の没後770年を記念し、昭和29年(1954)に創建された。
清盛の偉績を讃え、霊をお慰めするため、毎年命日にあたる3月20日に厳島神社祭が行われ、厳島神社高舞台で舞楽が一曲奉奏される。

大願寺
この寺の秘仏厳島弁財天は弘法大師空海の作と伝えられ、日本三大弁財天の一つ。
木造薬師如来像、木造釈迦如来像、阿難尊者像、迦葉尊者像はすべて重要文化財に指定されている。

社前の松は大願寺の九本松といい、口頭伝承によると、伊藤博文公が明治時代頻繁に来島され、その際に植えられたものと伝えられている。

小松内大臣平重盛公御手植松
重盛公(清盛公長男)厳島辯財天の神徳霊験に感服し国家安泰家門隆盛祈願の為参籠の際境内にお手植になった老松。

千畳閣と五重塔がある高台の敷地はあまり広くないため、五重塔は下から上を見上げるような鑑賞になってしまう。
高さ : 27.6m
応永14年(西暦1407年)建立。

千畳閣
天正15年(1587年)、豊臣秀吉が戦歿将兵の慰霊のために大経堂として建立した。
畳857枚分の広さがあることから「千畳閣」と呼ばれるようになった。

秀吉の死により工事が途中で中止され、板壁も天井の板もない未完成の状態のままとなっている。
明治初年の神仏分離により本尊の釈迦如来座像は大願寺に遷され、厳島神社末社・豊国神社とされた。

夕日に染まる大鳥をきれいに撮りたいと思いやってきたのですが、下層に雲が出てしまい、茜に染まる夕日は取れませんでした。

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厳島神社へのアクセス、行き方歩き方

宮島へは宮島口よりフェリーで約10分。
(宮島口~宮島桟橋は、約15分間隔でJR連絡船と松大汽船が運行している。
運賃/片道大人170円 小人80円)
●JR連絡船/TEL(0829)56-2045 
●松大汽船/TEL(0829)44-2171

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