多気御所(北畠神社)と詰の城 霧山城

伊勢国司から戦国大名となった北畠氏の本拠地であり、16,000騎を有する大将にふさわしい城郭であった。

この地は、伊勢本街道が走り、吉野と伊勢の交通路の便が良いということからここに拠点が置かれたと思われます。

北畠神社参道入口の朱塗りの鳥居と火除橋。

鳥居をくぐり入って行くと茨木和生氏作の句「ひかり降るごとく雨来て山桜」の句碑が立ち、その左(入口) 側には「霧山城」への、右側には「神社・ 庭園」への案内板がある。

御本殿の向かって左手に鎮座する「多芸神社」。

北畠神社(きたばたけじんじゃ)拝殿

祭神は北畠顕能(きたばたけ あきよし)
鎌倉時代末期から南北朝時代の公卿・武将。

当社は建武の新政に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする建武中興十五社の一社です。

顕家が足利方に敗れて亡くなった地に、祠を建立し祀ったのが始まりとされます。

北畠顕能 は建武政権期に伊勢国へ下り、多気を拠点に武家方に対抗しました。
伊勢北畠氏の祖とされています。

管領細川高国が北畠晴具(はるとも)に贈った辞世の和歌

絵にうつし石をつくりし海山を後の世までも目かれずや見む

本居宣長 吉野からの帰路詠める

君まさで経りぬる池のこころにもいひこそいでね昔こふらむ

境内右に北畠顕家像
北畠顕家は北畠親房の長男

北畠顕能公の歌碑

北畠顕能(きたばたけあきよし)南北朝時代の武将。
北畠親房の3男。
ただし次男あるいは養子(中院貞平の子)とする説もある。

南朝君臣の和歌を蒐(あつ)めた「新葉和歌集」に載せられた顕能公の歌十八首のうち最も代表的なもので「前右大臣」と記されている。

戦乱に明け暮れた伊勢国司としての永い生涯を顧みて郷土の平和を希求し南朝の安泰を祈られずにはいられなかった顕能公の切実な心境を窺うことができる。

いかにして伊勢の浜荻(はまおぎ)ふく風の

 治まりにきと四方(よも)に知らせむ

境内右に祀られた「留魂社(りゅうこんしゃ)」
北畠一族、家臣他をお祀りしている。

北畠氏ゆかりの庭園で、国指定の名勝&史跡。紅葉と共に、枯山水、米字をかたどった米字池など風雅な見どころも多い。
自然の地形を巧みに活かした造形は室町庭園とも呼ばれ野趣あふれる。

石橋で左右に分かれる池は「米字池」として知られる。

美杉ふるさと資料館の玄関の扁額「美し郷霧山」

美杉村とゆかりの深い伊勢国司、北畠氏の古文や鎧などの資料と、この地で昔から使われていた農具などを展示している資料館。

館内には北畠神社、庭園の模型がある。

現代も往時も霧山城まで登ることは容易ではなかったことから、北畠氏は平常時は多気御所に住み、霧山城は詰めの城として使用していた。
霧山城を取り囲むように支城が並び、霧山城を守護する経塚屋敷もあった。

天正4年(1576年)の霧山城落城により城下町も消えていったが、江戸時代にはお伊勢参りの人々が集う宿場町として再生した。

21世紀初頭には「山深いのどかな里」となり、旧家が建ち並ぶ。

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霧山城へのアクセス、行き方歩き方

住所:津市美杉町上多気1148
電話:059-275-0615 

JR名松線「伊勢竹原駅」から「丹生俣」行き市営バスにて約40分「北畠神社前」下車

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