毘沙門堂は京都御所北の出雲路に、703(大宝3)年に行基が創建したと伝えられる。
何度も兵火に遭ったが、1665(寛文5)年に現在の場所で出雲寺毘沙門堂として復興された。
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疏水の両岸には、ソメイヨシノやヤマザクラが植えられ、静かな市民の散歩道となっている。
全長約4キロの“桜のトンネル”をゆっくりと散策するのは最高。
特に安朱橋の東側付近は、桜の薄紅色と菜の花の黄色の鮮やかなコントラストを楽しめる。
瑞光院には元禄の討ち入り後、四十七人の赤穂義士の遺髪が祭られ、内匠頭の墓がある。
急峻な石段の上にある本堂への表門にあたる。
寛文五年(1665年)に建立された阿吽の二天像が護る。
本堂は寛文6年(1666年 – 江戸時代前期)徳川家綱の援助で建てられました。
「毘沙門枝垂れ」「一目千両」とも呼ばれる宸殿前の樹齢150余年、高さ約10m・枝張り約30mのシダレザクラ。
今回のお目当ての桜です。
桜の真下にも入ることができます。
頭上を見ると、まるで桜の屋根!桜に包まれているようなそんな錯覚さえ覚えます。
毘沙門堂は高台にあるため、帰りはもちろん下り。
大しだれ桜の豪快さに目を奪われたばかりですが、下りの階段から眼下を望むと、名もなきヤマザクラが点在し、こちらもなかなかの風情。
階段の途中で振り返る、絵葉書構図だか中々きれいです。
今降りてきた薬医門は京都市指定文化財です。
薬医門の名称は律令制下で宮中の医薬関係を司った典薬寮 てんやくりょう の門の名前にちなむといわれます。
薬医門は、本来は公家や武家屋敷の正門に使われました。
格式が高いところに用いられる門です。
西参道石段から勅使門。
勅使門(ちょくしもん)は宸殿と共に第三世門主一品公弁親王が、後西天皇より拝領し、元禄六年(1693年)に移築完了した檜皮葺きの総門で、陛下の行幸、勅旨の代参、並に当門跡門主晋山の大事以外は一切開門されない。
今回は毘沙門堂の枝垂れ桜とこの山科疏水の桜がお目当てです。
山科疏水は1885(明治18)年に着工、1890(明治23)年に完成した琵琶湖疏水の一部。
大津市から長等山の下を抜けてきた後、山科や蹴上を経て京の旧市街に通じている。
1970年代に遊歩道が整備された。
ミツバツツジも見られます、そろそろ桜の終わりを予感させます。
疎水沿いの道も桜はそろそろ終わりのようです。
山桜が目立ちます。
眼の前の紅い橋を渡ると本圀寺へ。
第二トンネルの手前の公園でお昼にしました。
桜もあまりはかばかしくないのでここで疎水の散策を打ち切り御陵駅から次へ向かう。
毘沙門堂へのアクセス、行き方歩き方
住所:京都府京都市山科区安朱稲荷山町18
電話:075-581-0328
JR東海道本線、京都市営地下鉄東西線の各「山科駅」、京阪電車京津線「京阪山科駅」下車、徒歩約20分
ご注意■
京阪を使われる方へのご注意なのだが、この京阪電車京津線はそのまま京都市地下鉄東西線と同じレールを走っている。
したがって洛中へ戻るには何に乗ってもいいが、洛中方面から山科へ向かう場合は“大津・坂本”方面行きに乗る必要がある。
というのは、ひとつ手前の御陵(みささぎ)駅で二つに分かれ、京阪京津線は地上へ出るが、京都市地下鉄の方は地下に潜ったまんま南下してしまうからだ。