土佐街道 高取町の町を散策

高取町の「土佐」は飛鳥時代、都造営のために連れて来られた土佐(現在の高知県)の人々が国に帰ることができず、故郷を懐かしんでつけた地名と伝えられています。

子島寺
壷阪寺と双璧といわれる古刹、752年報恩大徳の創設で21坊の伽藍を誇った時代もあった。
山門は高取城の二の門を移築したもので、現存する高取城の唯一の建造物。

町屋は、当時ほとんどが平屋で2階は屋根裏程度となっています。
つし2階建てと呼ばれています。

お殿様を見下ろさないという配慮からと言われています。
窓には、連子格子が取り付けられ、このような昔ながらの町屋が今も街道沿いに続いています。

江戸時代に迷い込んだかのような感覚を受けます。

行列を襲うものが隠れないよう家と家の間は隙間なく建てられています。

薬の町・高取町で、三代にわたって営業している漢方薬のお店『壷阪漢方堂薬局』さん。
虫籠窓が渋い。

この石畳は、阪神大震災の復旧工事で出てきた阪神国道の路面電車の石畳を利用しています。

『石川医院』、高取藩の御殿医として仕えた家系とのことで、立派な門は、元は高取城の下屋敷門だったとか。

児童公園に建つ、一部復元された松の門。
高取城内にあった建築物のひとつであった。

明治4年の廃藩置県で高取城が廃城となり、多くの建築物は取り壊されたが、幾つかは移築された。

松の門は明治25年に土佐小学校の校門として移築されたが、昭和19年に一部が焼失し解体された。

田塩邸
現存する貴重な武家屋敷。

与力窓(格子が横向き)を二つ付けた長屋門を有する。
又、両袖に物見所、馬やを持つ武家門でもあり、塀に付けられた「監視窓」は表口を警戒する構えでもあり他に類を見ない。(現在も住居として利用されている)

植村家長屋門
旧大手門の通りに面しており、高取藩の筆頭家老の屋敷。

県重要文化財に指定されており、なまこ壁が城下町の雰囲気を漂わせる。(現在も住居として利用されている)

土佐街に住み、歯科医を営んでおられる川西氏が、自宅の蔵を利用して、昔から伝来する懐かしい品物や写真を展示しておられます。
その名も「土佐懐古館」。

かなり懐かしい物や、高取の昔の様子を感じ取ることの出来る多くの写真が、飾られています。

その一角に、「青畝文学館」として、高取出身の昭和を代表する俳人「阿波野青畝」の直筆短冊や、ゆかりの品物を集めたスペースもあります。

俳人・阿波野青畝(あわのせいほ)句碑

飯にせむ 梅も亭午ごと なりにけり

お里沢一の物語を今に伝える義太夫節の名作、壺阪霊験記。

お里・沢市墓所 信楽寺

浄瑠璃、歌舞伎、浪曲にも語り継がれる夫婦愛の物語『壺坂霊験記』のモデルになったお里と沢市の墓と伝えられます。

小さな墓ですが、訪れる人で供養の花が絶えません。

土佐町商家、大年寄・池田屋伊兵衛の屋敷跡。

南北朝時代に南朝の武士だった臼井氏が伊勢から高取に商人となって移り住んだ伊勢屋の跡。

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土佐街道 高取町へのアクセス、行き方歩き方

観光スタート地点は、ほとんどの場合、「近鉄吉野線壺阪山駅」及び「近鉄吉野線市尾駅」が便利です。

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