御霊神社(ごりょうじんじゃ)の創立は、大古大阪湾が深く入りこんで海辺はぬかるみ、芦荻が繁茂して圓江(つぶらえ)と云い円形の入江に創祀された圓神祠に始まる。
淀屋橋の大阪ガスビルの裏手に位置します。
文禄3(1594)年、境内の小祠乾八幡宮と源正霊神とを本殿に合祀して圓江(現在の靭)から現在地に鎮座、その後、名前を『御霊神社』に改称された。
御霊神社は、大坂三十三ヶ所観音めぐりの三十三番札所。
その昔、大融寺から御霊神社まで巡ることは西国三十三ヶ所巡りと同じご利益があるとされていた。
残念ながら今では現存する寺、神社が減り巡ることはできません。
拝殿の前に標柱が4本、注連縄が張ってあり、近寄り難い雰囲気がある。
祭神は天照大神荒魂、津布良彦神、津布良媛神応神天皇、源正霊神の5柱を祀る。
境内には明治十七年(1884)から大正十五年(1926)まで人形浄瑠璃御霊文楽座 があり文楽二百年の歴史のうちでも、もっとも華やかな時代をつくりました。
大阪市の建立で「御霊文楽座跡」の石柱が、また大阪北浜船場ライオンズクラブの手で「文楽座の跡」のブロンズ製床本型の記念碑がつくられました。
山片蟠桃、緒方洪庵、福沢諭吉を始め、懐徳堂や適塾の塾生もよく参拝したとのことである。
文学では、近松門左衛門の「曽根崎心中」(難波津の西国三十三所の霊地霊仏めぐり)に「……いらかならべし新御霊(第三十三番御霊宮-津村)に、拝みをさまるさしも草、………」、
また同じく近松門左衛門「与平衛・おかめひぢりめん卯月の紅葉」の(上之巻き二十二社廻り)に「 ……夢をつむらの新御霊、……」と書かれ、
谷崎潤一郎の「春琴抄」に佐助が「御霊様に祈願をかけ朝夕拝んでおりました効があって有難や望みが叶い……」とあります。
1926年(大正15年)に境内の浄瑠璃文楽座が出火し、本殿に類焼。
1930年(昭和5年)に再建されたが、1945年(昭和20年)の空襲により、全て炎上した。
現在の社殿は1957年(昭和32年の再興。
御霊神社の靱の碑
御霊神社の前身である圓神祠が文禄3年(1594年)まで靭の地(現在の西区靱本町)にあったことから、それを後世に伝えるために明治27年5月にこの碑が建立された。
御霊神社へのアクセス、行き方歩き方
住所:大阪市中央区淡路町4丁目4-3
電話:06-6231-5041
地下鉄御堂筋線・淀屋橋駅・13番出口徒歩5分
地下鉄四つ橋線・肥後橋駅・6番出口徒歩6分