玄界灘の景勝の山上にそびえる白亜の天守 唐津城

別名は、満島山(みつしまやま)を中心に鶴が翼を広げたように見えることから舞鶴城とも呼ばれる。

唐津市街の北部に位置し、松浦川が唐津湾に注ぐ河口の左岸、満島山に位置する。

唐津湾に突き出た満島山上に本丸が配され、その西側に二の丸、三の丸が配された連郭式の平山城である。

北面は唐津湾に面するため、海城ともいわれ、萩城とともに現在も直接海にそびえる石垣がみられる。

新舞鶴橋からの唐津城の雄姿。
バスの車窓からの撮影のため社内の残像が映りこんでいる。

二の丸から坂口門を経て、この石段を登ると本丸に到達します。

櫓門形式の本丸南門。
本丸の正門にあたる門で、内部は枡形構造となっている。

本丸内部から櫓門を見る。

二の丸直前の階段の上に何やら大きなグリーンの屋根が。
佐賀銘木100選のフジの枝なのだ。

樹齢100年以上、高さ約3m、幹回り1.2mの藤の古木。
4月上旬から5月上旬にかけて、約1mの花房につく花は5万を超える。

藤の根元、威厳さえ感じる。

今唐津城では大工事が行われている。
もともと無かった天守閣を構築したため石垣が耐えられなくなり積みなおすことになった。

クレーンで天守を持ち上げ、壊れた石垣を撤去、積みなおすのだ。
工事完了は2016年(平成28年)を予定しているそうだ。

今唐津城は慶長7年(1602年)より本格的な築城を行い、慶長13年(1608年)に完成した。
築城に際し東唐津側と地続きであった満島山を切り離し、松浦川がそこから唐津湾に注ぐよう流路を変更した。

また、秀吉の死後、廃城となっていた名護屋城の遺材を使用し、九州各地の諸大名の助力を得て築城した。
柳川堀、佐賀堀、肥後堀、薩摩堀など普請に協力した大名の領地名が堀の名に残されている。

広高の子の堅高は、天草領に構えていた富岡城が島原の乱の際に一揆側に攻められた際、その責任を取らされ天草領4万石を没収された。

堅高は、正保4年(1647年)に江戸藩邸で自殺し、また嗣子がなかったために寺沢家は断絶となった。

旗竿石
朝鮮出兵の際、名護屋城周辺に滞在した諸大名の陣に軍旗や馬印を立てるために穴を開けて使用されたもの。

半島状の陸地(東唐津)の奥にある広大な緑地は虹の松原です。
これは寺沢広高が新田開発の一貫として、防風・防砂林として植樹を行ったもので、その広さは230ヘクタールと広大です。

台形の山は鏡山。

三つの島は左から大島(現在は地続き)鳥島、高島。

高島宝当神社
今から四百年以上の昔、高島を荒す海賊を撃退した野崎隠岐守綱吉の墓を島の守神として祀ろうとしてできたのが、「宝当神社」。

後年、島の人々の願いを叶えてくれる神社として大切にされてきましたが、名前のためか近年「宝くじが当たりますように」とこの宝当神社に参拝する方が多くなってきています。

西の浜海水浴場の脇に並べられた石。
工事中の天守台の撤去された石で、一個一個に番号が付けられている。

今渡ってきた新舞鶴橋が見えている。

斉藤茂吉の歌碑。

本丸南門下から見上げるときれいな緑、紅葉は美しいだろな。

石段脇の高石垣も見事。

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唐津城へのアクセス、行き方歩き方

住所:佐賀県唐津市東城内8番1号

唐津城 TEL0955-72-5697
唐津市観光課 TEL0955-72-9127

JR唐津線、筑肥線唐津駅から、徒歩20分。
JR唐津線、筑肥線唐津駅から、タクシー利用で5分

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