宇治の橋姫伝説

京都府

さむしろに 衣かたしき 今宵もや 我を待つらむ 宇治の橋姫
「古今和歌集」
「むしろ」に自分の衣だけを敷いて独り寝ては、今宵も私を待っているのだろうか、宇治の橋姫は

もうひとつの橋姫像は「待つ女」である。
「さむしろに」の歌は、王朝貴族の間ではなじみ深いものであり、さらに「源氏物語」宇治十帖によって、「待つ女=橋姫」像は、より強固なイメージをもって定着する。

宇治十帖は、「橋姫」で始まり、「夢の浮橋」で終わる。
この橋とは、京を離れ、宇治という別空間へとつなぐ宇治橋であり、さらに、光源氏亡き後、物語のヒーローとして登場する薫と匂宮へとつなぐ時代のかけ橋でもある。

さらに、宇治川をはさんで、右岸と左岸は、此岸と彼岸・極楽浄土、すなわち現世と来世を結ぶかけ橋である。
「我を待つらむ宇治の橋姫」は、宇治の八の宮の姫君たち、大君(おおいきみ)であり、中の君であり、浮舟である。

宇治十帖の中では、橋姫になぞられて、和歌が交わされている。
薫と大君、匂宮と中の君、薫と浮舟・・・・・・橋姫は陰のヒロインともいえよう。

それから三年目の秋、八の宮が山籠もりの修行中とも知らず、宇治を訪れた薫はたまたま美しい楽の音に導かれて、姫君たちの部屋に近づいた。
透垣(すいがい)のはざまから覗くと、そこには荒涼たるところの風景や、仏道に親しむ宮家の雰囲気からは想像もつかぬあでやかな姫君が二人月をめでて筝(そう)のことと琵琶を合奏しているのであった。

洗練された会話、ゆかしいものごし、しかも八の宮に育てられたのもつ淋しいかげ、都にときめく姫君には見られぬ風情である。
恋せじと決めた薫の心もさすがにゆらいだ。

しかも、意外なことに、宮家には薫誕生の事情を知る老女の弁(べん)が仕えていて、秘密を薫にほのめかした。
彼女は柏木衛門督の乳母子(めのとご)で、あの事件の文使いだった女三の宮の乳母子の小侍従とはいとこにあたる女だった。
源氏物語「橋姫」の巻

柏木は光源氏の妻女三宮に道ならぬ恋をしてしまい、ついには無理やり関係を持ち、それが原因で病気で若くして亡くなってしまいます。
源氏の末っ子として生まれた「薫」は実は柏木の子どもで、その「薫」は『宇治十帖」の主人公です。

雪の中、宇治を訪れる匂宮。
浮舟を連れ出し、宇治川を渡る。
橋の小島をめぐり、対岸の小さな隠れ家で、夢のような耽溺(たんでき)の二日間を過ごす。
ふたりの男性の間を漂う小舟。

その行方は誰にもわからない。
源氏物語「浮舟」の巻
浮舟は薫中将と匂宮の両方に想われ、それに悩み結局宇治川に身を投げるのですが、知らないところに流れ着きそこで尼になる女性です。

源氏物語最終巻「夢の浮橋」
薫は、横川僧都から浮舟の話を聞き、おもわず涙する。
浮舟の弟・小君に文を託すが、浮舟は人違いだと言って会うことすらしない。
薫も女も愛し合った過ぎし日を、すなわち、人間の愛を夢のように観じていることは明らかである。

「新古今和歌集」には、人待つ「宇治の橋姫」の歌が多く詠まれている。
宇治十帖によって、「宇治に住む待つ女」像は、悲劇のヒロインとして、時空間を超え、人びとの心の中に、静かに忍びこむのであった。

寛弘二年(1005)か三年、紫式部は道長に頼まれて家庭教師格で彰子の後宮に宮仕えに上がったのだったが、どうやら清少納言のように当意即妙の才でサロンを楽しくする才能はあまりなかったようだ。
気難しい中年のものかきだったのだ。

花やかな付き合いより、里邸に下がってひたすら執筆することの方が向いている女性だった。
もっともその間、道長が紫式部の渡殿(わたどの)の戸を叩くというような出来事があった。
「紫式部日記」によれば、とうとう戸を開けなかった紫式部のもとに、翌朝、道長から「夜もすがら水鶏(くいな)よりけになくなくぞまきの戸口にたたきわびつる」という歌が届けられた。
紫式部も「ただならじとばかりたたく水鶏ゆえあけてはいかにくやしからまし」と返歌している。
この水鶏にかけた二人の歌の解釈をめぐって、後世、道長と男女の関係があったのかなかったのか、いろいろともめている。

いずれにしても紫式部の晩年は明らかでない。
いつ致仕したのかもいつ死んだのかもわからない。
晩年がわからないのは清少納言も同様であるが、紫式部は一応「当世稀なる貞淑の女性」として生涯を全うしたという見方が主流になっているのにくらべて、清少納言の晩年はさんざんないわれようである。

橋姫明神が橋の守護神として最初に祀られたのが、宇治橋三之間であるとされている。
人びとは、宇治川の奔流のように、荒ぶる橋姫の姿を重ね合わせたのだろうか。

近年、橋の西詰の南(橋姫神社)に移され、橋姫神社のもう一つの祭神である住吉神と隣り合わせに祀られている。

「源氏物語」の舞台の一つでもある宇治に、物語の優美なイメージには似つかわしくない、こんな伝承が残っている。
嵯峨天皇の時代、夫に浮気をされた嫉妬深い女が、相手の女を呪い殺したいと、呪詛神に祈り続けた。
神は「それほどまでに願うのならば、姿を改め、宇治川にて二十一日間の行水をせよ」と告げた。

女はお告げの通り、長い黒髪を五つに分け、角を作り、頭に鉄輪をのせ、口に松明をくわえた異様な出で立ちで、二十一日間、宇治川の冷水の中に浸った。
やがて女は鬼神となり、夫と女を取り殺したという。
さらに、この橋姫の物語は、嫉妬深い女性の物語として展開する。

このテーマは「平家物語」「太平記」にも描かれ、さらに能や室町物語集へとつながっていく。
能楽「鉄輪」とは夫に見捨てられた女が、貴船神社に丑の刻参りをして恨みを晴らそうとするも、安倍晴明に祈り伏せられるという物語である。
能楽「葵上」のシテ(主人公)・六条御息所のように「般若」の面をつけ、鬼女となるわけでもなく、成仏することもできない。
その恨み辛みは、心のうちにこもる。
その苦しみの表情が「橋姫」の面ににじみ出ているのである。

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宇治橋へのアクセス、行き方歩き方

京阪宇治駅より徒歩約1分
JR宇治駅より徒歩約7分