安芸国との国境を固める山上の堅城 岩国城

江戸時代初期は岩国領の居城となり、山城である横山城は本丸を中心として南西に二ノ丸、北東に北ノ丸、ほかに水の手などの曲輪が配置され、麓には、「御土居」が築かれた。

城下と城を隔てる錦川には錦帯橋が架けられ、特徴的な景観を作り出している。
城下町はこの錦帯橋の道筋を基準に整然と整備された。

岩国に向かう途中、宮島SAに立ち寄り宮島を遥拝することとした。

大鳥居の向こう側から宮島が見渡せる。

厳島が見えています、中央が弥山、右下に鳥居が見えている。

安芸の宮島や広島湾など、瀬戸内海を見下ろし、毎年8月14日に行われる宮島水中花火大会の時には、花火と瀬戸内海の夜景を求めて多くの人出が集まり、年によっては本線上にまで渋滞車列が続く場合もある。

少し目を東にやると江田島が見える。

錦川に架かる錦帯橋と城山(横山)
昭和になって当時の物は流され、現在は3代目。

慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元は領地を大幅に削減され、広島城から萩城に移封となった。

同時に一族であり毛利家存続に注力(結果的に毛利氏は領土を大幅に削減された)した吉川広家も同時に米子城から当地に3万石で封じられた。

慶長5年10月には家臣団が、慶長6年(1601年)には広家がこの地に赴任した。
広家赴任と同時に岩国城の築城が開始された。

麓に平時の居館となる「土居」と、戦時の城「横山城」が横山山上に築かれた。
築城には8年の歳月が費やされ、まず翌慶長7年(1602年)に土居が完成した。

土居完成とほぼ同時期に横山城の築城が開始され、慶長13年(1608年)に竣工した。
本丸には4重6階の唐造りの天守が建造された。

しかし、完成からわずか7年後の元和元年(1615年)に幕府の一国一城令により横山城が破却され廃城となった。

岩国藩第3代藩主の吉川広嘉(ひろよし)像。

岩国藩第3代藩主の吉川広嘉は、自身が病弱だったため、医師で中国の明の出身である独立(どくりゅう)という人物に治療をしてもらっていたのですが、この独立医師が所持する「西湖遊覧誌」という明の書物を閲覧する機会を得ました。

そして、その書物に出てくる橋を見た吉川広嘉は、「これを再現すればいい!」と考えつき、錦川に小島のような橋を置く台を造らせ、そこに石垣を置き、アーチ型の橋を架けさせました。

岩国城ロープウェイの山麓駅の西方300mの寺谷という所に、岩国の領主であった吉川家の墓所があります。
ここには六代当主を除いた吉川家代々の当主及びその家族が眠っています。

城山(横山)へはロープウェイを利用します。

二の丸跡に残る石垣。

北の丸遊歩道への道。

現在の天守は1962年 (昭和37年) に外観復元されたもので、四重六階の桃山風南蛮造です。
南蛮造(唐造)とは最上階をその下階より大きく造り、その間の屋根を省略した様式です。

復元の際、錦帯橋からよく見えるよう、旧本丸の約50m南側に位置を変えています。

旧天守閣跡の石垣は、当時の石積み技術のままに修復され、見学することができる。

岩国城跡旧天守台について
岩国城は、江戸時代には珍しく、山上に築かれた近世城郭である。
この城郭は、毛利氏の一族、吉川広家(きっかわひろいえ)が慶長8年(1603)に着工、同13年に完成したが、元和元年(1615)一国一城令により破却された。

城郭の中心となる天守台は、古式穴太積み(こしきあのうづみ)と呼ばれる石積みを基本としながらも、戦国時代に、地方独自の石積みの技術が加わった形で造られた構造物である。

天守台の石垣は、大きめの石と、すき間に詰めた小さめの石からなり、隅部の角石(すみいし)には算木(さんぎ)積みの技法が見られる。
その隅部には、反りはなく、ほぼ直線上の稜線に仕上げられており、見かけの美しさよりも構造力学上の安全性に重点を置いた造りになっている。

これにより、戦国武将吉川氏の石垣の力強さを垣間見ることができる。
(文と図は城内説明板より)

天守からの眺望(眼下に錦川と錦帯橋を見下ろす)
城山(横山)から望む錦帯橋と山麓の藩主居館・武家屋敷跡
錦川が「つ」の字を描くように城下町を抱いて蛇行している。城下町から錦帯橋を渡ると武家屋敷・居館跡となる。

本丸下の空堀 
岩国城は、江戸時代初期に築かれた石垣造りの近世城郭である。
この時代に築城された城郭の多くは平城で、岩国城のように山頂に城郭を築き、防衛を主体とした空堀を築造したものは、全国的に見ても極めて珍しい。

この空堀は、幅約19.6m、深さ約10mと、日本最大の箱堀構造で、明らかに敵の鉄砲による攻撃を意識して造られたものである。
石垣は空堀の部分には築造されていない。(城内説明板より)

天守台から錦帯橋を見下ろす。
手間側が城内、向こう側が城下になる。

吉香公園の中にある、吉香神社(きっこうじんじゃ)。
岩国藩主吉川氏歴代の神霊を祀る神社です。

旧目加田家住宅(重文)
18世紀中頃に造られた武家屋敷で国の重要文化財。
目加田家は戦国時代からの吉川家の家臣です。
水害があるためか、平屋が主流の武家屋敷の中では珍しく2階が存在しています。

吉香公園、噴水の向こうでは子供たちが水遊びしています。

香川家長屋門(県文化財) 
岩国藩家老の香川正恒居宅の長屋門。
岩国藩五家老の1つ、香川家が1693年に建造した物です。

槍倒し松(やりこかしのまつ)

よその大名が他藩の城下を通るときには槍を倒して横切るのが礼儀であった。
しかし大藩が小藩を横切るときは礼儀を守らずそのままスルーしていた。
6万石の小藩である岩国武士はこれを見るたび憤慨していた。

そこで岩国武士はひらめいた!
槍を倒さないと通れないようにすりゃいいんじゃね?
岩国武士はかなり横枝の伸びきった松を橋の頭に植えた。

今でも錦帯橋の頭に植わっています。

そして、同じ川岸に巌流ゆかりの柳があります。

吉川英治作の小説『宮本武蔵』のなかで、武蔵のライバルである佐々木小次郎は、岩国の生まれとあり、そして錦帯橋一帯の柳を相手に、つばめ返しの術を編み出したとあります。

さてはてどこかで聞いたことがある話だぞ。
小次郎出生伝説、燕返しの術を編み出した話は一乗谷にもあります。
詳しくは幻の都「一乗谷朝倉氏遺跡」に淡墨桜を訪ねるをどうぞ。

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岩国城へのアクセス、行き方歩き方

住所:山口県岩国市横山3
電話:0827-41-1477

岩国駅から市営バス「錦帯橋行き」で約20分「錦帯橋」下車、徒歩約10分で岩国城ロープウェイ「城山山麓」、ロープウェイで約3分「山頂」下車、徒歩約5分で天守

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