かつて二つの天守がそびえた麗城 広島城

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近代は軍都広島の中心施設であった。
日清戦争時に、本丸に大本営が置かれたという稀有な歴史を持っている。

アメリカ軍による広島市への原子爆弾投下の際には破壊目標地点となった。
また天守は原爆による爆風で吹き飛ばされたのではなく、建物の自重により自壊したことが近年の研究で判明している。

再建なった二の丸表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓。

別称は「鯉城(りじょう)」。
広島城があった一体は昔「己斐浦」と呼ばれ、広島市西区己斐の地名は延喜式で嘉字地名とされる前は「鯉」であったと言われていることから、この名がついた。

一説には堀にたくさんの鯉がいたからとも、天守が黒いからとも言われる。
その他、「在間城(ざいまじょう)」、「当麻城(たいまじょう)」の別称がある。

広島カープは鯉からとったもの。

二の丸表御門。

最も広かった時代の曲輪のうち内堀に囲まれた本丸と二の丸と三の丸の一部が現存し、広さ約12万平方メートル。

大坂城や岡山城らと共に初期近世城郭の代表的なものである。
名古屋城、岡山城と共に日本三大平城とも言われる。

平櫓内部の様子。

二の丸から本丸へ。

中御門跡、火災で変色した石垣がある。

本丸には現在護国神社が建つ。

大本営跡

東小天守の跡(奥の石垣)。
手前は天守再建時、初代大天守の礎石を移設したもの。

天守よりの眺望、大きな建物は広島県立総合体育館 広島グリーンアリーナ、左隅に原爆ドームが見える。

広島城の模型。

夕日に浮かぶ天守。

毛利氏は、鎌倉幕府の重臣・大江広元を祖とする名家で、毛利元就が中国地方のほぼ全域に勢力を拡大します。

元就の孫・毛利輝元は織田信長と対立しますが、本能寺の変の後、秀吉に臣従します。

その後、秀吉に大阪城や聚楽第に招かれた輝元は近世城郭の利点を悟り、太田川の三角州に急遽、平城の築城を決めたそうです。

堀越しに夕日に映える天守。

1598年に毛利輝元によって創建された大天守は、1945年に倒壊するまで現存天守の中では岡山城天守に次ぐ古式を伝えるもので、下見板張りや最上階に高欄を持つ外観の仕様は国宝保存法下の国宝指定(1931年)の理由の一つとなった。

今日の宿泊は広島、夕食は「お好み村」

元祖広島お好み焼「お好み村」ホームページ

戦後まもなくの1950年頃、中央通りに屋台群が発生。それが、現在のお好み村のルーツになる。

当時は、お好み焼きの屋台だけではなく、ラーメンなどの屋台も有った様である。

お好み焼きの屋台が林立する状態を見て、作家のきだみのるが「まるでお好み村みたいだね」と言った事がお好み村の名前の由来になる。

2階に8店、3階に8店、4階に11店の合計27店が営業している。

翌朝、早速日の出の撮影、小一時間待ちやっと撮影。

朝日に映える天守。

「花の精」像が朝日に浮かぶ。

城南通りのマンホールの絵柄はモミジ。

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広島城へのアクセス、行き方歩き方
住所:〒730-0011 広島市中区基町21-1
TEL:082-221-7512

広島駅から広島電鉄電車「紙屋町東」下車徒歩15分

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