平安の風わたる公園

平泉文化の基となった後三年合戦。
後三年合戦の際の古戦場である西沼を中心に平成3年に作られた歴史公園です。

源義家が金沢の柵に向かう途中、この沼を通った際に、飛んでいた雁が突然列を乱したことから、敵の伏兵がいることを察知し、難を逃れたといわれる場所です。

この公園には、合戦の様子を描写した壁画レリーフ、登場する人物のブロンズ像等があります。

合戦の様子を描いた壁画レリーフ、雁の乱れで伏兵がいることを察知し戦いをしかける源義家軍。

薄金(うすがね)のかぶと、権五郎景政(ごんごろうかげまさ)の功名、義光の参陣の場面です。

千任の馬倒(ちとうのばとう)
前九年合戦のおり「義家の父頼義が、清原氏に臣下の礼をとったくせに、清原氏に刃を向けるとは恩知らずも甚だしい」と義家を面罵しました。
千任は恨みをかい、最後は捕えられてなぶり殺しにされました。

公園内には当時の主役たちがブロンズ像になって皆さんの訪問を待っている。

藤原清衡
父・藤原経清は前九年の役で源頼義に反旗を翻し安倍氏に味方したが厨川の戦いで敗れた安倍氏と最後をともにした。

この時清衡は七歳であった。
敵将の嫡男であったので本来は処刑される運命にあったが、母が安倍氏を滅ぼした敵将である清原武則の長男清原武貞に再嫁することになって危うく難をのがれ、連れ子の清衡も清原武貞の養子となった。

源 義家
八幡太郎(はちまんたろう)の通称でも知られる。
新興武士勢力の象徴ともみなされ、後三年の役の朝廷の扱いも「白河院の陰謀」「摂関家の陰謀」など様々な憶測がされてきた。

清原家衡
清原氏の内紛である後三年の役において、はじめは異父兄の清衡と結んで清原氏の惣領である兄の真衡と争い、真衡の死後は清衡と争う。

清原武衡
清原氏の相続争いとなった後三年の役において沼柵(現秋田県横手市雄物川町沼館)に籠もった甥家衡が清原清衡・源義家連合軍を破るとこれに応援に駆けつけ、家衡が義家に勝ったのは武門の誉れとして喜び、難攻不落といわれる金沢柵(現秋田県横手市金沢中野)に移ることを勧めた。

どういうわけかこの公園が平安時代の設定なのに万葉の径なるものがあり石に刻んだ万葉集の歌も・・・

まずは『くろまつ』で有馬皇子(ありまのみこ)の歌

磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む

 (もしも自分の身にまだ幸運が残っていたら、帰りにもう一度見よう)

658年に時の斉明天皇への謀叛の罪で処刑された時の護送の旅の途中に読んだ歌。

つぎは作者不詳の『あせび』

我が背子に 我が恋ふらくは 奥山乃の馬酔木の花の 今盛りなり

(あなたに恋する私の思いは、奥山に咲くあしびの花のように思い焦がれ、今が真っ盛りです)

「背子」とは女性が夫や恋人を指す語、女性の男性に対する恋歌でこういう歌、若い時はどきどきしたんだろうネ・・・

つぎも作者不詳の『やまざくら』

見わたせば 春日の野辺に 霞立ち 咲きにほへるは 桜花かも

(見わたせば、春日の野に霞が経つように咲き誇っているのは桜の花だろうか)

これもあまり・・・

三連の橋『雁がね橋』
このあたりが雁が突然列を乱したという現場か・・・・
アヤメの花がきれいでした。

公園管理棟のそばにある物見台。

後三年の役金沢資料館
・外観 金沢柵跡と伝えられる山なみを背景に、三重の宝塔をモチーフにした木造建築は、石垣と築地土塀や庭園の樹木につつまれながら、平安の世にいざないます。

・展示室 郷土の文人・戎谷南山の模写による『後三年合戦絵詞』や、県指定文化財の中世仏教にかかわる経塚の資料や大般若経など、郷土の歴史資料を展示しています。

後三年の合戦概略

清原家には、清衡の他に、武貞の嫡子で清衡とは血のつながらない義兄の真衡、武貞と清衡の母の間に生まれた異父弟の家衡がいたうえに、吉彦秀武が清原武則の従兄弟にして娘婿であるなど複雑な血縁関係で結ばれた一族が存在しており、ややもすると血族の間で内紛が起こり易い状態にあった。

永保3年(1083年)に秀武が真衡に背くと、清衡・家衡は秀武に同調して、真衡が秀武討伐に出羽に向かった隙に真衡の本拠を攻撃した。
だが、陸奥守であった源義家が真衡を支援して清衡・家衡を攻めたため、清衡・家衡は大敗して逃走し義家に降伏した。

ところが、出羽に向かった真衡が直後に急死したため、清衡・家衡は義家の裁定で清原氏の所領を分割相続することになる。
家衡はこの裁定に不満を持ち、応徳3年(1086年)に清衡の屋敷を襲撃し、妻子眷属を皆殺しにした。
難を逃れた清衡は義家に助力を求め、義家は清衡を助けて最終的に家衡を滅ぼした。

後三年の役は清原氏の私闘とされ、何の恩賞もなく清衡にも官位の賞与も無かったが、一族最後の残存者として奥六郡を領する勢力者となった。
時に寛治元年(1087年)清衡32歳の事である。
その後実父の姓である藤原に復し、奥州藤原氏の祖となった。

乱・役・合戦・変などの歴史用語について

「**の乱」は、ときの政治権力に対する反抗運動。
または同等勢力による内戦。

「**の戦い」は、他国との争い。
同等勢力による内戦や、大きな争いの中の一局面を指すことが多いのではないでしょうか。
「**戦争」も同じ。

ただし、国家間の近代戦争では、宣戦布告をともなったもの以外は「戦争」とは言いません。
「**事変」と言ったりします。

「**の役」は、ときの政治権力が反抗勢力を征伐・征討する動き。
「**の変」は、ときの政治権力が反抗勢力に敗れたり、本来?の権力者が他の勢力に取って代わられている状態。

もうすこし具体的にすると
「役」は他国との戦争(明治前期よりも以前に限定)や辺境(周縁地域)での戦争に対して使われます(文永・弘安の役,文禄・慶長の役,征台の役(=台湾出兵),前九年の役,後三年の役など)。

前九年の役,後三年の役は私闘との解釈から最近では合戦と呼ばれているようです。

「出兵」は文字どおり“他国へ兵を出す”ことで,朝鮮出兵,台湾出兵,シベリア出兵,山東出兵で用いられます。

「合戦」と「戦(戦い)」は“局地的な”戦闘行為をあらわすのに用いられることが多く,「乱」は政府・現政権に対する“反乱”や“武力による抵抗”という意味合いで用いられます。

(たとえば壬申の乱は大海人皇子による近江朝廷への反乱ですね)。

「~の変」という表記もあります。
これは“政治的な陰謀・政変”や“政権担当者側が不意に襲われた場合”に使われます。
後者では武力が用いられることもありますが,本能寺の変や桜田門外の変・坂下門外の変・紀尾井坂の変などがそれにあたります。

ただし,両者に該当せず,戦闘行為が伴っていたとしても「~の変」と表記されるものもあります。
薬子の変と元弘の変がその代表です。

“天皇・上皇が乱=反乱を起こす道理がない”という立場(必ずしもそんなことはない)から「~の変」(つまり単なる“政治的な陰謀・政変”)と表記されるわけですが,薬子の変は平城上皇による嵯峨天皇に対する反乱なので“平城上皇の乱”,元弘の変は後醍醐天皇による鎌倉幕府に対する「謀叛」(当時の史料にはこのように表記されている)=反乱なので“元弘の乱”と表記することもあります。

ちなみに,承久の乱は大正期ころからは“承久の変”と表記されることが多くなっていました。

「征伐(征討)」は“政府に背いたものを懲らしめる”という意味をこめた表記ですが(長州征伐など),征伐(征討)の対象は“悪者”との価値判断が含まれます。
そこで,たとえば長州征伐は,そうした価値判断を排除したうえで,幕府と長州藩のあいだでの戦闘行為である点を明確化するために“幕長戦争”と表記されることがあります。

「戦争」は、“国家または交戦団体が兵器を使用しておこなう戦闘行為”のことです。
明治後期以降においては国際法で決められたルールにのっとった戦闘行為(宣戦布告をおこなう)が「戦争」と呼ばれ(日清戦争や日露戦争など),

宣戦布告なしにおこなわれた場合は,戦争に準ずるものとして「事変」と称されます(満州事変や支那事変など)。

ただし,宣戦布告がなくとも実質的には戦争と同じだとの判断から「戦争」との呼称が用いられる場合もあります(支那事変を日中戦争と表記)。

また,明治前期以前においては対外的な戦闘行為・武力行使や国内での内乱(いくつかの戦闘行為が連続しているもの)を指して「戦争」と呼びます(薩英戦争,石山戦争,戊辰戦争,西南戦争など)。

ただし,「征伐(征討)」「役」「出兵」「合戦」「戦(戦い)」「乱」「事件」などの呼称も戦闘行為をあらわす表記として使われます。

「事件」は戦闘行為を伴わない出来事の呼称としても用いられますが,戦闘行為を伴ったり,武力が使用された出来事をさす場合に使われることもあります(特に江戸幕末期以降に多い)。

単発的な出来事に対して用いられることが多いのですが(四国艦隊下関砲撃事件や満州某重大事件・ノモンハン事件など),長期にわたる戦闘行為(「戦争」)のなかの局地的な出来事であっても“謀略的”あるいは“偶発的”であれば「事件」という呼称が用いられます(柳条湖事件や盧溝橋事件)。

おおよそ以上のような基準があるのですが,実際はけっこう曖昧なまま使われています。慣例としての表記でしかない場合が多いというわけです。

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平安の風わたる公園へのアクセス、行き方歩き方

住所:〒013-0814 秋田県横手市金沢中野
電話:0182-33-7111 横手市観光協会

JR奥羽本線「横手駅」から「大曲行」のバス約30分「三貫堰」下車、またはJR奥羽本線「後三年駅」から車約10分、または秋田自動車道「横手I.C」から車で15分

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