春先取り 火と水が織りなす荘厳の世界 お水送り

天平勝宝 4年(752)インドの渡来僧・実忠が二月堂の建立の時、修二会を催して全国の神々を招きましたが、遠敷明神が漁に時を忘れ遅刻。
そのお詫びに本尊に供えるお香水を若狭から送ると約束し、二月堂の下の岩をたたくときれいな水が湧き出したと伝えられます。

お水送りの伝統神事が3月2日、若狭神宮寺で行われた。
その水は、若狭小浜の「鵜の瀬」から送られ、10日かかって東大寺二月堂の「若狭井」に届(とど)くとされています。

鎌倉時代・重要文化財
切妻造り二軒和様八脚門
仁王門は、寺の北門にあたるもので、三間一戸八脚門形式の切妻造杮葺である。

両脇には金剛力士像を安置することからこの名で呼ばれている。
束や頭貫鼻の繰形等の様式から、鎌倉時代の建立と考えられる。
全体に簡素ではあるが、各所に時代を反映した様式のみられる建物である。

門の両端に密迹、那羅延の木造2金剛力士を安置する。高さ2.1m、胎中に至徳2年(1385)の墨書がある

なお、神宮寺は、「江」など三姉妹の従姉妹で「初」の夫である京極高次の姉(妹とも)である 京極竜子(のちの松の丸)が若狭武田家の武田元明とともに住んでいた場所と伝えられています(この地で2男1女を生んだと伝えられています)

本像のある北門から参道を望み見ると、鎌倉期以後、七堂伽藍二十五坊を備えた神宮寺の隆盛が偲ばれる。

大膳院(桜本坊)
江戸初期・表門は桃山時代
書院庭園

向こうから山伏が歩いてきますが景色によくなじみます。

簡素な門、ここから入山です。

本堂(重要文化財)
室町時代の建立
単層(たんそう)入母屋造(いりもやづくり)檜皮葺(ひわだぶき)和様(わよう)を主体に天竺様(てんじくよう)繰形、唐様(からよう)束梁などの手法を用い、軒隅の反転なども美しく華麗(かれい)な姿です。

閼伽井戸(あかいど)
ここの水を上流2kmの鵜之瀬に流すと10日間で東大寺の若狭井に到達する。

東大寺二月堂へ水を送る(3月2日)水源の井戸。
ここで汲まれた水が鵜の瀬に運ばれる。

スダジイの木、天然記念物・樹齢推定500年、幹周り6.4m 高さ18m。

防火のため幔幕に何度もスプレーで水が吹き付けられている。

本堂の廻りには消防隊により、消火ホースが接続される。

午後6時ごろ、白装束の僧がホラ貝を吹きながら山門をくぐり入場、本堂へ入り修二会の始まりです。この行は見学不可。

境内を埋め尽くす参拝者たち。
午後4時から待機しているが雪も降り寒さで体が震える。
最終の立ち直会(なおらい)まで後、3時間もある、中々の苦行だ。

午後6時30分いいよ韃靼の始まりだ。

神宮寺本堂の回廊(かいろう)から赤装束(しょうぞく)の僧が大松明(たいまつ)を「エイッ、エイッ」とのかけ声とともに左右に振りかざす達陀(だったん)の行が行われる。

松明が階段を駆け下り、大護摩法要の場所へ移動します。

大護摩壇に韃靼の火が移され、法要が始まる。

韃靼撮影のため、本堂前に陣取っていたため、大護摩法要の場所まで移動できず、石段下へ先回りして行列を待つ。
上では護摩壇の火が大きく燃え上がる。

大護摩の火が大中小のたいまつに移されると、ほら貝を吹き鳴らす3人の山伏を先頭に1・8キロ離れた鵜の瀬へ向け行列が出発した。
一般参拝客も加わってたいまつの光の帯が浮かび上がり、荘厳な雰囲気に包まれた。

中松明は女性も担いでいる、全部で18基の中松明が参加している。
一般市民、観光客の皆さんも手松明を購入して参加することができます。

遠敷川に松明の火を映して、三千人ほどの長い行列が続く、荘厳な雰囲気。

折からの雪と強風で松明の火が飛散する。

送水神事の行われる鵜の背に到着したが、神事の行われる場所がよくわからない、係員には立ち止まるなと言われるし。
護摩を持っていないと神事の場所には入れてくれないし、万事休す。

肝心の画像は撮れず。
後で聞くと、午後5時過ぎから神事の行われる真向いの路上で待機しないと撮れないという、寒空に4時間も立ち尽くす苦行だ。

松明は鵜の瀬大護摩法要の場所へ橋を渡る。
後で聞いたが結局参加者が多く、手松明を購入して持っていた人も全員は入場できなかったようだ。
松明の列に紛れ込んで貴賓席の真後ろまで入って神事を見たという剛の者(女性)もいた。

松明行列は、1.8Km先の鵜の瀬という河原まで続き、そちらで再び護摩が焚かれ、神事の中、お祓いをされた聖なる水が、神宮寺住職の手により流されます。

神事の行われる場所を上流側から見る。

鵜の瀬で護摩が焚かれると、いよいよ送水神事の始まりです。
白装束の住職が祝詞を読み上げ、竹筒(つつ)からお香水(こうずい)を遠敷川へ注ぎます。

そして、このお香水は10日かかって東大寺・二月堂の「若狭井」に届くとされており、よって奈良のお水取りは  3月12日に行われる。

川を挟んでかがり火が焚かれ、神事が行われているのを見るのもなかなかない機会だ。

午後9時過ぎに立直会(たちなおらい)があり終了です。
午後4時から雪の降る中に立ち尽くす苦行が終わりました、鵜の瀬の流れと松明の灯りを見ながらバスへと急ぐ。

元明天皇の時代、和銅7年(714)、泰澄(たいちょう)大師の弟子、滑元が創建し、翌年、勅願所(ちょくがんしょ)となり、神宮寺と称(しょう)しました。
鎌倉初期、若狭彦神社別当寺神宮寺と改名し、七堂伽藍(がらん)二十五坊を誇(ほこ)るまでになりました。

その後、豊臣時代に寺領没収(ぼっしゅう)され、さらに明治初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって衰えました。
しかし、お水送りの舞台として長い歴史を誇る伝統行事を今に伝えています。

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