舞鶴港は、戦中は旧海軍の軍事的拠点として使用されていたが、戦後は大陸に進駐していた軍人軍属や一般人の日本本土への引揚、および日本に在留していた中国・朝鮮人の送還のための指定港のひとつとなった。
他港が早々に引揚港から除かれたため、これら引揚者のほとんどが、舞鶴港を入港先・帰還港とした。これに伴い、日本各地から夫や親族の帰還を待ち望む多くの人々が、舞鶴港へと出迎えに訪れた。
舞鶴港のジオラマ
平均水深20m、湾の出入り口は約700mと狭く、湾内は極めて静穏である。
またその地形から湾内の干満差もほとんどなく(最大でも30cm)、また四方を400m程度の山々に囲まれるなどし、冬場の日本海側港湾でも強風・荒天を避けることのできる天然の良港として知られている。
ラーゲリーと呼ばれる収容所での悲惨な生活を再現しています。
極寒のシベリアの装備
だもいノ噂
だもいとはロシア語で帰国を意味する。
「だもい 東京」何度この噂に喜び、何度裏切られたことか。
こんどこそ真実であって欲しいと願いつつ、マホルカ(旧ソビエトの刻みタバコ)を紙に巻き、これから一服しようとする姿。
雪のシベリア収容所のジオラマ。
舞鶴港への引揚者の搬送に当たった船舶は57隻、述べ346隻で、興安丸や高砂丸など、その模型を展示。
船の模型と帰国者名簿
岸壁の母こと端野いせさんについての展示コーナー。
引揚桟橋を見下ろす展望広場から舞鶴湾を望む。
新日本海フェリーの姿も見える。
『異国の丘』と『岸壁の母』の歌碑。
ああ母なる国の碑
カリヨン
1995(平成7)年、戦後50周年に設置したもので、高さ7.5メートル、12鐘で引き揚げの地舞鶴から戦争の悲惨さと平和の尊さを祈念して、四季に応じた曲目を30分毎に奏でている。
舞鶴引揚記念館へのアクセス、行き方歩き方
住所:京都府舞鶴市字平1584番地
電話:0773-68-0836
JR東舞鶴駅より、京都交通の路線バス三浜線もしくは田井・野原線で約15分、「引揚記念公園前バス停」下車。
JR東舞鶴駅より、舞鶴観光周遊バスで「引揚記念館バス停」下車。