幻の都「一乗谷朝倉氏遺跡」に淡墨桜を訪ねる

一乗谷は、東、西、南を山に囲まれ、北には足羽川が流れる天然の要害で、周辺の山峰には城砦や見張台が築かれ、地域全体が広大な要塞群であった。


先ず一乗谷朝倉氏資料館に立ち寄り予備知識を。

駐車場に降り立つと美しい糸桜が出迎えてくれた。

諏訪館跡庭園への途中で見た糸桜。

諏訪館跡庭園は、朝倉5代目当主であった義景が奥方「小少将」のために建てたと伝えられる館の庭園。
朝倉氏遺跡4つの庭園の中で最大の規模を誇っている。

唐門と淡墨桜を俯瞰する。

南陽寺跡は、朝倉義景が永禄11年(1568)の春、後に室町幕府最後の将軍となる足利義昭を招き歌会を催したところ。

南陽寺・観桜遊宴
永禄十一年三月八日、光徳院(義景母)は、一乗谷亡命中の足利義秋(義昭)から当時の女性としては最高の位階となる従二位に任ぜられた。
その御礼として義景は義秋を光徳院の屋敷へ招き祝宴なども開催されたが、三月下旬には、南陽寺に義秋とその伴衆を招いて観桜遊宴が催された。

もろともに月も忘るな糸桜  年の緒長き契と思はゞ」 義秋
君が代の時にあひあふ糸桜 いともかしこき けふのことの葉」 義景

瓜破清水の脇にある糸桜。

唐門と淡墨桜、一乗谷朝倉氏遺跡を象徴する眺めだ。

唐門は、朝倉義景の菩提を弔うために移築された松雲院の山門。
質素な中にも堂々とした気品をたたえている。

現在のものは江戸時代中頃に建てかえられたもので、門内の上部には「五三の桐」の紋と朝倉の「三ツ木瓜」の紋が刻まれ朝倉氏遺跡のシンボルとなっている。

案内板によると湯殿跡庭園は、一乗谷で最も古い4代孝景の頃の、廻遊式林泉庭園である。

朝倉館を俯瞰する、弓場の跡なども見られる。

土手にはショウジョウバカマ、カタクリなどが咲きのどかな里山の風情を感じる。

朝倉館を俯瞰したところ。
朝倉館は第五代義景の居住した館で城下町である一乗谷の中心部にあり、東の山城を背にし、その山裾の約百m四方の平坦地に造営されたもので、東を除く三方に高さ1.2~3m程の土塁を廻し、その周りに幅約8m、深さ約3mの濠をめぐらしている。

三方の土塁にはそれぞれ門が設置され、西を正門としている。また、濠をへだてた南には、関連屋敷の拡がりも予想され、西方には、馬場が存在したと記録されている。

一乗谷朝倉氏資料館に展示されていた朝倉館復元模型。

朝倉館から一乗谷川を隔てた場所には周囲に土塁をめぐらした大屋敷が立ち並んでいた。

現在は、復原町並として復元整備されている場所で、それらのうち一軒を史料等を参考に、30坪の主殿を中心に門、庭園、蔵、納屋、井戸、厠まですべてが再現されている

復元町並みの庭で見かけた糸桜。

復元された町並みを散策していると中世にタイムスリップしたような感覚になる。

一乗滝は一乗谷川上流にある水量豊かな滝。
この滝で、宮本武蔵のライバルである佐々木小次郎が「つばめ返し」をあみだしたという言い伝えがあります。

浄教寺生まれの小次郎は、富田勢源の道場で剣術を磨き、一乗滝の飛瀑と神秘的な空気に包まれた滝壷で「つばめ返し」を編み出した、と伝えられている。

クラブツーリズムのお勧めツアーはこちら!

一乗谷朝倉氏遺跡へのアクセス、行き方歩き方

■お車
北陸自動車道・福井IC→国道158号線を東へ→10分→朝倉氏遺跡
■バス
京福バス 福井駅前のりば9(東郷線)→25分→朝倉氏遺跡資料館前 →5分→武家屋敷前(1日6往復)
■電車
JR福井駅(越美北線)→15分→一乗谷駅下車(1日8往復)
■JR福井駅から、観光タクシーあり 片道 約11km  約20分