太宰府天満宮・北野天満宮・防府天満宮を合わせて「三天神」と呼ぶ。
三天神には諸説あり、太宰府と北野天満宮までは共通するものの、あとの一つを大阪天満宮等とする説も存在する。
延喜3年(903)2月25日、菅公は謫居(たっきょ)の地、南館(榎寺)において清らかな御生涯を終えられました。
その後、御遺骸を牛車に乗せて進んだところ、間もなくその牛が伏して動かなくなりました。
これは、菅公の御心によるものであろうとその聖地に御遺骸を葬りました。
飛梅が一輪寒風にさらされています。
大宰府へ赴くため都を発つ道真が庭先に立っている梅に対して「東風ふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と歌った。
太宰府天満宮拝殿・右手前にその飛梅が立っている。
東風吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ
この短歌は、菅原道真(すがわらみちざね・菅公)がうたった有名なもの。
彼は、もともと低い身分でしたが、学問に優れていたため、右大臣にまで出世した。
当時の左大臣の藤原時平からねたまれ、あらぬ罪で、大宰府に左遷させられた。
その時に、梅が大好きだった菅公が京都の紅梅殿の梅に向けて詠んだ歌。
現在も大宰府の天満宮には、梅があり、飛梅伝説として残っている。
大宰府天満宮には、梅の木の下で「ひょうたん酒」を飲めば、難を免れるという言い伝えがある。
天満宮で、厄除け祈願を受けると特別なお札・お守り、お神酒と厄晴れひょうたんを授かる。
この授かった厄晴れひょうたんの中に、願い事を書いた用紙を入れ自宅の神棚などにお祀りし、災難が降りかからないように祈願する。
そして、厄が晴れると、お礼参りをして、ひょうたんを本殿裏のひょうたん掛所へ納めれば良い。
大楠、樹齢 1000~1500年、樹高 :39m、幹回り 12m、根回り 20mと成っていて、国指定天然記念物。
妹(いも)が見し楝(あふち)の花は散りぬべしわが泣く涙(なみだ)いまだ干(ひ)なくに 巻五(七九八)
妻が見たセンダンの花はもうすぐ散ろうとしているよ。私の泣く涙はいまだ乾かないというのに
この歌も大伴旅人(おほとものたびと)の妻の死(巻五:七九三も参照)に対して山上憶良が贈った追悼歌で、巻五(七九四)の長歌に付けられた反歌のうちのひとつ。
「楝(あふち)」は植物のセンダンのこと。
そんな「妻が生前に見たセンダンの花はもうすぐ散ろうとしているよ。
私の泣く涙はいまだ乾かないというのに」と、月日は経っても妻を失った涙の乾かない哀しさを詠った挽歌となっています。
亡き妻が好んで見た花が散ってしまうことで妻との思い出のよすががひとつ消えてしまうような、そんな寂しさも感じさせる一首です。
よろづよに としはきふとも うめのはな たゆることなく さきわたるべし
いつの世までも梅(うめ)の花は絶えることなく咲き続けるでしょう。
天平2年1月13日、大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で催された宴会のときに詠まれた歌の一つ。
わが苑に 梅の花散る 久方の
天より雪の 流れくるかも (大伴旅人 万葉集巻5-822)
わが家の庭に梅の花が散る。はるか遠い天より雪が流れて来るよ。
参道の商店で見かけた焼き物、梅色が見事だった。
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大宰府天満宮へのアクセス、行き方歩き方
福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
西鉄太宰府線太宰府駅から徒歩5分