黒牛潟今は塗り物の街

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和歌山県海南市黒江の周囲は美しい入江で、多数の岩が波に見え隠れしていました。
その黒く大きな岩が黒い牛のように見えた為、当時はこの周囲は黒牛潟と呼ばれていました。

その後、長い年月とともに海は干上がり「黒牛」を名の由来とする現在の「黒江」の街となり、戦国時代から塗り物の街として栄える事になります。

奈良時代より「黒牛潟」と呼ばれ風光明媚な地であったという「黒江」この黒江の地は万葉集に多く読まれています。

09-1672 黒牛潟 潮干の浦を 紅の 玉裳裾引き 行くは誰が妻 作者不詳

“紅の玉裳裾引き行く”のは采女であったろうと思われ、天皇行幸の捧げ歌であってみれば、この女性は天皇の后あるいは想い人のひとりであったのは間違いないと考えられます。

色の対比が鮮やかでなかなかしゃれています。

歌碑の隣には海南の万葉歌九首も紹介されています。

07-1218 黒牛の海 紅にほふ ももしきの 大宮人し 漁(あさり)すらしも 藤原房前

黒牛の海の海岸に、紅の色が照り映えている。とりどりに着飾った大宮人達が貝拾いをしているらしい。

09-1798 いにしへに 妹と我が見し ぬばたまの 黒牛潟を見れば 寂しも 柿本人麻呂

貝拾いに戯れる大宮人の色とりどりの衣装は、漆黒の海をバックに照り映えて、殊更美しく見えたに違いありません。

黒江の町並みといえば、のこぎりの歯のようになった家の並び方が象徴的です。

これは江戸時代に黒江の入り江を埋め立てた宅地が平行四辺形だったことから、このような並びになったといわれています。

遥か昔の室町時代から盛んに漆器が作られるようになりました。
漆器と黒江の町並みが融合し、落ち着いた大人の町の雰囲気が漂っています。

「紀州漆器」は、日本の漆器四大産地(他、会津漆器、越前漆器、山中漆器)のひとつとして、400年以上の歴史がある地域です。

温故伝承館を覗いてみます、生活文化としての酒づくりの姿と心を伝えるため、各種の清酒製造器具・道具類等を展示しています。

昔の酒蔵を利用した資料館に江戸時代からの酒作りの方法と道具や商いの記録が展示されている。

製造過程で使われていた樽。

ひとつの酒づくりのシーズンの米の蒸し作業の終わりを迎えると、造りも一段落します。
このとき、 甑を横に倒し洗うことから「甑倒し」といい、蔵ではお祝いをします。


昔は輸送機関として馬車は欠かせないものでした。
酒の原料米などを運んできました

昔の酒の小売店は、通い徳利で計り売りが中心でした。
陶器製の樽は居酒屋等でも用いられたそうです。

2階には甕なども展示されている、当時のポスター、粋なお姐さんがモデル。

今でも威勢の良い唄声が聞こえてきそうだ。

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黒江へのアクセス、行き方歩き方

和歌山県海南市黒江846番地
073-482-1115 温故伝承館

・JR「黒江駅」から、南へ約900m、徒歩約12分
・JR「海南駅」から、北へ約1.4km、徒歩約20分又はタクシーで約4分

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