古代の万葉人は大和から紀伊の国を目指して真土山を過ぎ、背山を越えて、南海道の草枕の旅をひたすら歩きました。
都は山に囲まれているため、人々は海の景色に憧れて、潮風の海岸線をたどりながら、白浜温泉へ向かいました。
優しく寄り添うように美しい姿を見せる妹山・背山。万葉人が、はるか紀伊の旅路から奈良・飛鳥の都に残してきた愛しい人への想いをその姿に重ねて詠んだとされている万葉ロマンの里です。
背の山に 直ただに向へる 妹の山
事許せやも 打橋渡す 巻7-1193
背の山に真向かいの妹の山は、背の山の言うことをきいたのか、妹の山に板橋を渡している。
大化2年(646)の改新の詔によって、畿内国の南限(朝廷が定める国の南の境)が、かつらぎ町の兄山と定められました。
兄とは、背の君を表し、兄・夫の敬称です。背山は2つの峰が仲良く並んでペアのように見えるので、妹山・背山(妹背山)と言う説があります。
妹も妻・娘・恋人を表します。
また、紀の川を挟んで左側の台地のような山を妹山、その正面の右側の山を背山と呼び、お互いに向かい合っている情景から妹背山という説もあります。
我妹子に 我が恋ひ行けば ともしくも 並び居るかも 妹と背の山 巻7-1210
いとしい妻を思いつつ旅を行くと、うらやましいことに並んでいるよ、妹山と背の山は。
万葉の旅人は紀伊の国のむつまじい妹背山を眺めて、故郷大和の夫婦山…二上山を思い出し、郷愁に駆られました。
長い旅の道すがら有名な歌枕として万葉歌十五首、とりわけ相聞歌が数多く詠まれました。
相聞歌は恋歌が多く、唱和・贈答の歌を集めたものです。
ちなみに万葉集は、雑歌・相聞歌・挽歌が主な部立てになっています。
妹に恋ひ 我が越え行けば 背の山の 妹に恋ひずて あるがともしさ よみ人しらず
これは「都のあの娘のことを恋しく思いながら背の山を越えて行くと、仲良く一緒に並んでいる妹山と背山は本当に羨ましいよ」というすなおの思いをうたっています。
この他の相聞歌としては
吾妹子に 我が恋ひ行けば ともしくも 並び居るかも 妹と背の山 よみ人しらず
挽歌としては、
これやこの 大和にしては 我が恋ふる 紀伊路にありといふ 名に負ふ背の山 / 阿閉 皇女があります。
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妹山背山へのアクセス、行き方歩き方
和歌山県伊都郡かつらぎ町背ノ山
電話 0736-22-0300 かつらぎ町観光協会
JR和歌山線西笠田駅下車 徒歩10分