後瀬山城はJR小浜駅の南西に聳える標高168m程の山に築かれている。
現在主郭には愛宕神社が祀られており、北東麓から整備された参道が続いている。
参道を登り始めると、最初はかなり急な石段が続いていく。
大永2年(1522年)若狭国守護・武田元光(発心寺殿)によって築城された。
のち、三代にわたり守護大名・若狭武田氏の拠点(若狭守護所)として栄えた。
若狭に続き丹後の守護も手に入れた武田家の隆盛をみた皇族や公家の一部は京都の戦乱を避け小浜に下向している。
城主は元光・信豊・義統、そして京極龍子が嫁いだ元明と続くが、龍子が嫁いだ頃には、守護武田氏の武威は衰え、隣国朝倉氏の支援なくしては何事も立ち行かなくなっていたのが実情である。
繰り返される被官人の反乱を抑えるには朝倉氏の武力に頼るしかなかったのである。
しかし、永禄11年朝倉氏は混乱する若狭に進攻すると、龍子の夫である守護元明を保護を名目に越前へ拉致する。龍子にとってもつらい日々であった。
主郭への石段。
関ヶ原の戦いの論功行賞により若狭一国を与えられた京極高次が入る。
高次は、町作りのため新たに小浜城の築城に取り係ったが高次および京極忠高の京極家藩主時代には完成せず、後瀬山城が近世に入っても依然若狭支配の居城であった。
主郭に建つ愛宕神社。
右は主郭の石段横の石垣跡。
少し下がったところから主郭部を見上げる。
主郭から北西に伸びる尾根は少し降った標高130m程の所から階段状の曲輪群があり、その先の尾根に堀切で遮断した先端野曲輪群がある。
この堀切に面した曲輪は西から南に掛けて土塁が巡り、西側面には畝状竪堀群が残る。
東山腹には長大な竪堀が数本あり、見所の一つである。
登城口の愛宕神社の鳥居。
「かにかくに 人はいうとも若狭路の 後瀬の山の 後も逢わん君」(坂上大嬢 万葉集)
とうたわれているように、後瀬山という言葉には「後の逢う瀬」というロマンティックな意味もあるようだ。
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後瀬山城へのアクセス、行きかた歩き方
JR小浜線小浜駅~徒歩300m(登り口)