閑院宮跡

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閑院宮(かんいんのみや)は、四世襲親王家の一つで、江戸時代中期に東山天皇の皇子、直仁親王が創設した宮家。

2代直仁親王の王子祐宮が後桃園天皇の崩御に伴い践祚して以来、閑院宮系の血統が現在の皇統となっている。

京都御苑は百日紅が花盛り、閑院宮跡の門前もご覧の通り。

アップでとらえてもきれい。

正門(東門)は石畳で段差のない入口です。

門を入ってすぐ左にある築山。

明治2年の東京遷都に伴い、閑院宮が東京に移られてからは、華族会館や裁判所として一時使用され、御苑の整備が一段落した明治16年、宮内省京都支庁が設置されています。

第2次世界大戦後の昭和24年、京都御苑が国民公園となってからは、厚生省、のちに環境庁の京都御苑管理事務所などに使用されていました。

平成18年3月に改修工事を終え、京都御苑の自然と歴史についての写真・絵図・展示品・解説を備えた収納展示室と庭園などを開放している。

閑院宮家は伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家と並ぶ四親王家の一つで、1710年に東山天皇の皇子直仁親王を始祖として創立され、公家町南西部のこの場所に屋敷を構えました。

創建当初の建物は天明の大火(1788年)で焼失し、その後再建されていますが、現在の建物との関係など詳しいことはわかっていません。

撤去された官舎の部屋割りが木枠で示され、案内板にも説明されていますので、建物があった時のように玄関から入り、居室や客間からの眺めを楽しんでみてはいかが。

居室縁側に出て、縁先手水鉢を使う位置から見ると大木に守られたような庭園の全景が見えてきます。
樹林の大きな緑陰と手前の明るい池泉や芝地が、絶妙の構成美を創り出しています。

この縁側は居室を回り込むように設けられていたので、四季の風情が楽しめるようになっていたそうです。

大きな樹木と林床の木漏れ日が見せる涼やかな空間が閑院宮邸から続いています。
現況の樹木や空間を利用して明治・大正時代の開放的な雰囲気と美しさが作り出されました。

部屋の上部は虹梁(こうりょう)を渡し、「蟇股(かえるまた)」を置いた化粧屋根裏天井となっています。

蟇股や舟肘木(ふなひじき)が飾りとして壁にもあり、古い材からは歴史を感じることができます。

磨きあげられた床に庭の木々の緑が映り込む絶景です。

建物は、中庭をぐるりと囲む「ロの字」に配置されています。

ハギが存在感を増してきていますが、開花まであと一歩です。

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閑院宮跡へのアクセス、行きかた歩き方

京都市上京区京都御苑3
TEL075-211-6348

地下鉄「丸太町駅」下車 徒歩3分
市バス「烏丸丸太町」下車 徒歩3分
中立売西駐車場から徒歩10分

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