万葉人のくらし

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万葉人はどのように暮らし、どんな恋をし、どんなふうに四季の移ろいを眺めたのでしょうか。
奈良県立万葉文化館の展示からそのあたりを探ってみる。

先ず市の様子。

ここでは台所用品を売っているようです。
左側の茶色のが土師器、右側の灰色のが須恵器。

土師器の方が安いのだが野焼きで低い温度で焼いているのですぐ割れちゃうんだ。

須恵器は専用の竃を作って、高温で焼きしめているから、土師器より丈夫、長い目で見りゃ須恵器の方がお得!


野菜の店だ、どういう風に買い物をしていたのだろう。

ダイコンをもっているようだ、指2本を立てているので2富本銭とか言っているのかな。

当時はお米と言えば赤米、でも、日本人は粘り気の強い白米を好むので、甘みもなくぼそぼそとした赤米は室町時代には食べなくなっていた。

ただ、赤米は繁殖力が強く、氷点下10数度でも発芽するから、冷害、長雨、旱魃などにあっても、収穫が期待できる農民の心強い味方だった。

この店に並んでいるものの大半は、もともと税として役所の倉庫に入っていたものだが、物々交換で市場に出回ったもの。
遠い距離を運ぶ場合もあるから、腐らないように塩漬けとか乾燥したものが多い。

きれいな色の糸を売っているね。

糸を染めるには食物を絞った汁や煎じた汁を使うことが多かった。

使う食物や染付の回数などで、いろんな色や濃さに染めていた、工夫してオシャレを楽しんでいたんだ。

ガラスを作る職人。

ガラスは既製品を溶かすだけでなく、原料からつくられていた。
蓋つきの砲弾型ルツボに好物原料を入れて炉で溶かし、発色剤をくわえて、色とりどりの玉を作り上げる。

ガラス小玉をつくる方法の一つとして、小さな半球形の窪みが並んだ鋳型を用い、大量のガラス玉が作り出されていた。

おじさんが何か書いています。

左端の短冊には「荒炭一籠右物今急要」、これは荒炭一籠を至急欲しいという請求書だ。

これを持って行って引き換えに炭をもらい、支給した側ではこれをまとめて、出納管理簿を作る。

歌垣、文字のない時代には、男女が互いに歌に託してかけあいました。

古代、日本だけなく東南アジアなどでも見られる風習で、若い男女が春秋の特定の日に山や川辺に集まって、五穀豊穣を予祝したり、歌で求婚して結婚相手を探しました

男女が集まり、即興でつくった歌を送りながら相手に求愛する風習。

「市」も男女の出会いの場だった。
市では物の流通ばかりでなく、人々の交流も盛んに行われた。
多くの人々が集まるため、男女の出会いの格好の場所となった。

カップルが結ばれるまでの過程は、3つに分けられる。
まず、男性が好きになった女性に対して「名告(なの)り」を求める。

名前には霊魂が宿っていると考えられていたので、女性が男性に対して自分の名を教えることは求婚の承諾を意味した。

相手の名前を知った男性は、女の家を訪れて一夜を共にする。
万葉の恋人たちは、2人の関係を他人に知られるのを極端に嫌った。

だから、男が夕に女のもとを訪れ、夜明け前に帰るというのが当時の逢引のかたちだった。
男たちは、月明かりだけをたよりに、女を訪ねた。これが「呼ばい(夜這い)」。

もっとも、夜這いの段階では、しばしば母親が娘の監視役となり、男性を妨害しようとした。

親の同意が得られてようやく婚姻が成立するのだが、それでも男性は夜に妻を訪れ、朝方には帰宅した。
この時代は「妻問い婚」という婚姻形態だったのだ。

これは伎楽、呉楽(くれがく)とか伎楽舞(くれのうたまい)とも呼ばれていて、今の中国南部にあった呉国(ごのくに)から伝わったとされる。

ここでは、おじさんは崑崙という面をつけて男性の役を、向かいのお姉さんは呉女という面をつけて女性の役を演じている。

そして、今、美しい呉女という女性に恋した崑崙が、その呉女に追い払われてしまった場面を演じている。

この時期の髪型、子供は童女放(うないはなり)といって、髪を垂らしていましたが、成人した女性は中国や朝鮮半島の人々のまねをして、頭上に高く髷を結い上げるか、左右二つに髷を巻き上げていることが多かったようだ。

髪には櫛やかんざし、ヘアピン、時には植物をさしていました。
奈良時代の法律では、数え年で男性は15歳、女性は13歳になれば結婚できました。

髪を上げるということは、結婚できる年齢であることを意味していました。

当時の役所の風景。

男性役人、庶民と比べるとどこか品が感じられるかな。

こちらは女性役人、口元の丸い点は花子(かし)といって、奈良時代の上流階級の女性たちの間で流行していました。

富本銭の製作風景、富本銭は出土した地層が和同開珎が造られた708年より古いことがわかっています。

また、日本書紀の天武天皇12年(683)の条文に「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ。」と書かれていて、これらのことからから考えあわせると、この記事に該当するのが、富本銭だろうと考えられている。

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奈良県立万葉文化館へのアクセス、行き方歩き方

奈良県高市郡明日香村飛鳥10
0744-54ー1850

近鉄 橿原神宮前駅東口又は飛鳥駅明日香周遊バス(かめバス・約20分) 「万葉文化館西口」下車すぐ
JR・近鉄 桜井駅南口から岡寺前行き、石舞台行きバス(約20分) 「万葉文化館」下車すぐ

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