上対馬に泊る

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壱岐・対馬の旅2泊目は上対馬の花海荘、眺望の素晴らしいホテルだ。

対馬海峡を望む高台にあり、窓からは美しい日の出や漁り火が望め、雄大な景観の宝庫を満喫できる空間です。

平成22年4月、国民宿舎「上対馬荘」は、民間施設として生まれ変わった。

宿名は、地元の方々が親しみを込めて略して呼んでいた「かみそう」という言葉の響きを生かし、「花香る杜に立ち、異国へと続く大海原を望む宿」という意味を込めて「花海荘(かみそう)」と名付けた。

海上を眺めると養殖用のブイらしいものが見える。

夕食後韓国展望所へ案内してもらったが別稿でお伝えします。
なんせここから韓国釜山まで49.5㎞の至近距離なのだ。

韓国からの旅行客も年間24万人もいるそうだ。

漆黒の海にきらめく漁火は最髙だ、ベランダから漁火を眺めながら一杯やるというのもいいもんだ。

午前4時30分、まだ漁は続いています。

空が白んでくる頃船の姿が見えなくなった。

朝食までの時間、早朝散歩としゃれ込む。

「茂の井戸」沈没したバルチック艦隊のロシア兵を助けたという美談が残る。

日露戦争における日本の運命を分けたロシアのバルチック艦隊と我が連合艦隊が激突した日本海海戦の海戦海域を遙か望める上対馬西泊の丘。

その丘には、連合艦隊司令長官東郷平八郎元帥が揮毫した「恩海義嶠」と刻まれた大きな石碑があり。

日露両国国旗が掲げられるポールのもとに日本海海戦における総ての戦死者、ロシア軍四千八百三十人、日本軍百十七人の名を刻んだ慰霊碑が建てられている。

この丘の下の海岸近くには清水のわき出る井戸がある。
 
バルチック艦隊の沈没した艦船ウラジミール・モノマフ号の水兵百四十三人は、四隻のボートに乗ってこの北対馬の海岸に上陸した。
 
疲労困憊して上陸してきた彼らを見た近所の二人の農婦が、水を欲しがる彼らをこの井戸に案内した。
 
そして、この地区の人びとは、彼らに食料を与え傷の手当てをし宿を提供した。
 
彼らは元気になり祖国ロシアに帰ることができた。
この義挙を知った東郷平八郎元帥が、西泊に「恩海義嶠」の文字を揮毫した。

西泊海水浴場、平成7年にオープンした人工の海水浴場。

綺麗に整備された砂浜の海水浴場で、休憩棟も有りゆっくりとした時間を過ごすことが出来ます。

風光明媚で眺望抜群の場所に建つ「花海荘」に隣接し、近隣の観光地へのアクセスも良好です。
近くには韓国を望める丘などがあります。

岬を巡る遊歩道があります。

遊歩道を一周してホテルの庭へ。

漁を終えた船が帰ってくる。

出発までのひと時をベランダで過ごす、天使の梯子が素晴らしい。

ヤコブの梯子、天使の梯子という名称は、旧約聖書創世記28章12節に由来する。
この記述では、ヤコブが夢の中で、雲の切れ間から差す光のような梯子が天から地上に伸び、そこを天使が上り下りしている光景を見たとされる。

このことからやがて自然現象もそのように呼ばれるようになった。

レンブラント光線という名称は、レンブラント・ファン・レインがこれを好んで描いたことに由来する。

その結果、絵画表現上においては、コントラストが強くなり、光の当たる部分と闇の部分との対比を強調され非日常的な雰囲気や宗教的な神々しさを表現することに成功した。

雲間から差し込む陽光がきれいだ。

庭のアジサイ。

「いずれがアヤメかカキツバタ」

裏庭もきれいです。

ホテルで書いていただいた「旅の思い出帳」

「ひとつばたご」とは

ヒトツバタゴはモクセイ科の大陸系植物で、古代より大陸への窓口であった対馬を象徴する植物として、対馬市の木に指定されています。

対馬北部の鰐浦地区は国内最大の自生地であり、5月初旬の開花期には3,000 本といわれるヒトツバタゴが一斉に白い花を咲かせ、初夏に積もる雪のようです。

波の穏やかな日には、山を白く彩るヒトツバタゴの花の影が海面を白く染めることから、「海照らし」の別名で呼ばれています。

別名「ナンジャモンジャ」と呼ばれる国の天然記念物で、上対馬町では5月初旬に3000本を越える自生木がいっせいに花を付ける。山を真っ白に染め上げる様は見事です。

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上対馬 花海荘へのアクセス、行き方歩き方

長崎県対馬市上対馬町西泊390 
TEL:0920-86-3120

比田勝港から5分
厳原港から2時間

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