海幸山幸伝承を伝える和多都美神社

壱岐・対馬の旅、今日は行きから対馬へ渡ります、対馬最初の訪問地は海に建つ鳥居で有名な和多都美神社。

本殿正面の5つの鳥居のうち2つは、海中にそびえ、潮の干満により、その様相を変え、遠く神話の時代を偲ばせる神秘的な雰囲気を漂わせています。

西海道(九州)全体で107の式内社が名を連ねていますが、そのうち対馬は九州最多の29社を誇り、2位の壱岐の24社を加えると、2島で約半分を占めています。

対馬・壱岐は、神道の源流のひとつといえる島々なのです。

対馬には多くの神々が鎮座していますが、特に重要視されてきたのが、海神の娘・豊玉(とよたま)姫と、神功(じんぐう)皇后です。

豊玉姫は「古事記」の海幸山幸伝承に登場する女神で、初代天皇である神武天皇の祖母にあたります。
航海守護・安産・豊漁などの庶民にも身近な神徳があり、島民に親しまれてきました。

一方、神功皇后は懐妊したまま三韓(朝鮮)征伐を行ったとされる勇ましい女神で、子の応神天皇とともに「八幡神」として全国の八幡神社に祭られています。

神功皇后は九州北部に縁の深い女神であり、対馬にもたくさんの伝承地があります。

豊玉姫は外国への航海(交流)の守護神、神功皇后は外国から国土を守る女神であり、これはそのまま対馬の二面性(交流と国防の最前線)を表しています。

磯良の墓伝説のある磯良恵比寿(鱗状の磐座)

海上より数えて四つ目の鳥居に向かって白砂利の敷かれた境内に入ると、左手に石組みに囲われたプール状の潮溜りがある。

その中央付近に三柱鳥居がある。3本の柱に囲まれて「磯良恵比寿」と呼ばれる「安曇磯良の墓」(伝承)が見えた。

各種案内では、「鱗状の亀裂が入った」と形容されるが、その泥色をした岩は大きな拳状の塊がくっ付きあったような奇怪な形をし、思いのほか大きかった。

海中に生活していたため鮑や牡蠣がくっついた見苦しい顔であったとされる磯良の気味悪さを表わしているような、そんな形状であった。

神明造りの本殿

本殿へと這う松の古木の根っこがみえている。

神代の昔、海神である豊玉彦尊が当地に宮殿を造り、この和多都美神社が鎮まる地を「夫姫(おとひめ)」と名付けたという。
彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)の夫婦神が祀られている。

豊玉彦尊には一男二女の神があり、男神は穂高見尊、二女神は 豊玉姫命・玉依姫命という。

ある時、彦火々出見尊(山幸彦)は失った釣り針を探して上国より下向し、この宮に滞在すること3年、豊玉姫命を娶り妻としたと伝わる。

拝殿の左脇にまた三柱鳥居を見つけた。
その中心には大きな磐座のように見える岩があった。

海神豊玉彦命の墳墓とも云われるものである。何の表示も説明板もない。

鬱蒼とした薄暗い森の中へと入ってゆく。

誰もいない原生林は霊気を孕(ハラ)み、目に見えぬ神が語りかけて来るように感じた。

しばらく進むと、鳥居の向こうに磐座がみえてくる。

手前の壇が豊玉姫命の墳墓(御陵)である。

ただ、豊玉姫命は”仁位の高山”に葬られたと社家には伝承されているので、この磐座は恐らく古い斎場の跡であったものが、戦後の混乱期に社家がいったん途絶した為、「豊玉姫の墳墓」と言われるようになったと考えられる。

豊玉姫命を仁位の高山に葬った事については『楽郊紀聞』に和多都美宮司(わたづみのみやじ)が語ったものが記録されている。

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和多都美神社へのアクセス、行き方歩き方

長崎県対馬市豊玉町仁位字和宮55
0920-52-1566 (対馬観光物産協会)

対馬空港から車で40分
厳原港から車で60分