緑の風の中 貴船川沿いを華やかに染める 貴船祭

京都府

貴船神社の氏子は、わずか20世帯。
市街地のお祭りのように、決して賑やかとは言えないが、新緑の最も美しい時季に、貴船川沿いを華やかに巡行する金色の御神輿とお囃子の調べに、人々は感嘆の声をあげる。

貴船の入り口叡山電車「貴船口」駅。
ここからはバス5分。
徒歩30分。
今日は澄んだ空気、豊かな緑の中を貴船まで歩きたい。

貴船川の対岸、鞍馬小学校横の石寄大明神の境内にある「鬼一法眼古跡」の石碑は鬼一法眼の墓所の伝承地を示すもの。

石寄大明神社(いしよりだいみょうじんしゃ)
創建、由緒等は不明。由岐神社の境外末社。

あまり知られていないのが、貴船神社の一の鳥居。
車でこちらに来られた方はこの鳥居に気づかれたかもしれませんが、叡山電車でこられた方はまずこの鳥居に気づくことはありません。
貴船神社へ向かう参道と逆にあり、鞍馬に向かう道と貴船神社に向かう道の分岐点にあるんです

梶取社(かじとりしゃ)
貴船神社の創建の由来となった、玉依姫が船に乗り、淀川・鴨川をさかのぼり、貴船口から貴船に至ったとされるときに、巧みに舵を操られた梶取の神様が祀られている。

叡山電車「貴船口」を出てすぐ南の「梶取橋」。
道の右手へ行くと鞍馬、左手へ行くと貴船への分岐点。

叡山電車でこられた方は森の中にある「貴船口」で下りてそのまま貴船へ向かう方が多いと思うので電車の方にはこの場所はあまり知られていない。

和泉式部の歌で有名な「蛍岩」の裏側の河原へ降りてみた。
川面に緑が映り込みとてもきれいです。

貴船に向かう参道の途中に鎮座する梅宮社。
御祭神:木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

大山祇神の御女。
容姿艶美。
夫・瓊々杵命との神婚に因り、古来安産の神として信仰篤し。

貴船バス停から北の方向に道なりに数分間歩くと、道路左手に朱塗りの「二の鳥居」が立っており、ここから石段に春日灯籠がビッシリと立てられた参道が続く。
貴船神社の写真ではこの構図が必ずといっていいほど出てくる。

水占(みずうら)みくじは、その御神水にそっと浮かべると文字が浮かびあがるおみくじです。
吉凶が表われたおみくじは、乾くとまた文字が見えなくなるのだそうです。

縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若いカップルや女性で賑わっている。

11時、神事の始まりです。
貴船祭はかつて、春と秋に行われていた貴布禰御更祭(きふねごこうさい)を起源とする。
貴布禰御更祭は、明治維新以前までは4月1日と11月1日(いずれも旧暦)に行われ、それがいわゆる「例祭」として執り行われていた。

往古には、この両祭に「勅使御差遣の儀」があり、神御衣(かんみそ- 神様がお召しになる衣服)を献進されていた。
旧暦4月の祭の頃は貴船神社付近の山間に虎杖(いたどり)が繁茂し、神職らが摘んでその多少を競い合ったことから、俗に「虎杖祭」(いたどりまつり)とも呼ばれていた本宮での神事。

祝詞奏上のあと、樂辰會(がくしんかい)のご奉仕よる「舞楽奉納の儀」が雅やかに行われる。
平成24年の演目は【胡飲酒】(こんじゅ)。
この楽曲は林邑八楽(りんゆうはちがく)のひとつとして、雅楽の中でも非常に有名な名曲(舞楽)。

胡国の王が酒を飲み、酔って舞った姿を舞にしたものと伝えられている。
林邑 (ベトナム) の僧であった仏哲により、天平8年(736)8月に日本に伝えられた。
ただし現在伝承されている曲は原曲ではなく、仁明天皇の時代に改作されたともの言われている。

装束は毛縁の裲襠(りょうとう)装束に鳥皮沓(うひのくつ)、面を付け、袍の上には黒い半臂(はんぴ)を纏い、桴(ばち)を持って舞う。
桴は酒杓を表しているとされ、それを左右に頻繁に持ち替え髪を振り乱しながら、舞台狭しと走り回り、文字通り走舞のダイナミックな舞振を行う。

神輿巡幸
13:30~18:00頃
おみこしが本宮から奥宮まで貴船町内を巡幸します。

おみこしを担ぐのは貴船・鞍馬の若者のほか、島根県大原郡加茂町や安来市の貴船神社氏子の若者たちです。

神職さんが、お祓いをされた所で、あとから来る神輿が差し上げを行います。

激しく神輿を上下にゆすり、気勢を上げます。

1月に訪れた時は工事中だったが、立派な社殿が出来上がっている。
結社 結社(ゆいのやしろ)は、本宮と奥宮の中間、本宮から上流側300メートルの場所にある。
その立地から中宮(なかみや)とも呼ばれている。

境内には、「磐長姫命の御料船」として平成8年に奉納された船形の自然石「天の磐船」が置かれている。
磐長姫命を祭神とし、縁結びの神として信仰される。
磐長姫命が縁結びの神とされることになった理由として次のような伝承がある。

天孫瓊瓊杵尊が磐長姫命の妹の木花開耶姫と結婚しようとしたとき、姉妹の父の大山祇命は、磐長姫命も共に奉った。
しかし、瓊瓊杵尊は木花開耶姫とだけ結婚したので、磐長姫命はそれを恥じ、「縁結びの神として良縁を授けん」と言って当地に鎮まったという。

以前は、境内の細長い草の葉を結び合わせて縁結びを願っていたが、現在は植物保護のため本宮で授与される「結び文」に願文を書いて指定場所に結ぶことになっている。

現在は奥宮となっていますが、元はここが本宮でした。
奥宮の鎮座地は貴船の谷の一番低い所にあって、しばしば水の害に遭い、天喜3年(1055)に貴船神社本宮を現在の地に遷(うつ)しました。
しかし、奥宮は貴船神社にとって重要な地ですので、本宮と変わらず大事に祭がつづけられています。

御鎮座伝説に、「川のそばから水の湧き出る所があり、そこに一宇を設けた」とあり、現在は水は涸れているが奥宮本殿の下は龍穴といって大きな穴が開いています。
御神体のような神聖なものですから誰も見ることは出来ません。
1月に訪れた時は工事中であったが、立派な社殿が出来上がっていました。

貴船の龍穴と附曳(ふびき)神事
奥宮の本殿の下には、今も龍穴がある。
大和の室生龍穴や備前のそれと共に日本三大龍穴の一つとされている。
これがため、従来本殿の修理に際しては、附曳神事というのが行われた。

先ず本殿の西に手広い菰を結び付け氏子一同烏帽子浄衣の白装束で、本殿を東の権地に引移す。
そこで龍穴は自然に菰で覆われる。

龍穴は人目を忌むから、しめ縄にて菰をくくり、竣工の時、まずそれを解き、本殿を旧位置に復して正遷宮の儀に及ぶ。
伝説によると、文久年間の修理の時、大工が誤ってノミを龍穴に落としたところ、晴天俄かに墨の如くなり突風が吹きすさんでノミを空中に吹き上げたといわれる。

参道には雰囲気のある料理屋さんが並んでいるが、料金はあまり庶民的とは言えないようだ。

貴船川には小さな滝がいくつもあり、おりからの緑とあいまって道行く人の気持ちを和ませてくれる。

貴船の床の始まりは大正時代。
行社さんらが涼むために川で一服する際、小さな床机に腰をすえて、足などを洗っているところにお茶や食べ物などをだし、おもてなししていたのが始まりと言われています。

しかし、川をよしずで覆い隠し、せっかくの景色を私し、台無しにしているさまはみっともない。
もう少しスマートにやれないのかと残念に思うのは私だけだろうか。

貴船神社へのアクセス、行き方歩き方

貴船神社公式サイト

京都市左京区鞍馬貴船町180
075-741-2016
叡山電車「貴船口駅」下車、徒歩30分 または 京都バス「貴船」下車、徒歩5分
今年から国際会館から貴船口への路線バスが開設され、JRを利用して京都へ来られた方のアクセスが非常に便利になった。
また、新路線開設に伴い貴船口からのバスが冬季も運休なしの通年運航となり、便利になった。