1300年の伝統に生きる美濃和紙。
美濃和紙の起源は明らかではありませんが、奈良町時代、仏教の普及により、写経が盛んになりました。
その写経用の紙に美濃紙も使われたようです。
正倉院文書の中に美濃経紙が記されています。
あかりに彩られた美濃の町。
美濃和紙あかりアート館(みのわしあかりアートかん)、岐阜県美濃市にある「美濃和紙」と「あかり」をテーマにした美術館。
作品「にじをたべたひつじ」
作品「天使の集い」
毎日新聞社「手漉和紙大鑑」によると、大宝2年(702年)「美濃、筑前、豊前3国の戸籍簿断簡(正倉院文書中に現存)であり、いずれもそれぞれの国府で、所属の製紙工に漉かせたものである。」とあります。
これらのことから少なくとも美濃和紙は、1300年以上の歴史を有するものと考えられます。
平安時代に製紙業がいっそう発達し、美濃は紙の原料である楮(こうぞ)を600斥(約360kg)の年貢を差し出しています。
この量他の産地を大きく引き離した量です。
美濃和紙は江戸時代にも受け継がれ、明治時代は製紙業が激増しました。
その後、濃尾地震や不況、太平洋戦争による物資、労働力不足等が美濃和紙生産に大きく影響しました。
江戸時代、日本の中心地として発展してきた和の伝統と自然が共栄する美濃市。
領主・金森長近が築き上げた紙の一大産地として、今もその面影を色濃く残しています。
江戸の豪商たちが、富と粋を競った「うだつ」
“うだつ(卯建・宇建)”とは、屋根の両端にある防火壁のことです。
江戸時代、類焼を防ぐ工夫として、切妻平入りの町屋の両端の妻を一段高くした“うだつ”が設けられました。
しかしこの“うだつ”は、一丁前の店を構えなければ上げられません。
豪商たちは、“うだつ”を上げることはもとより、富と粋の象徴としてその意匠も競い合ったといいます。
そんな“うだつ”のある家も年々減り、今最も多く残っているのは美濃市常盤町・相生町・本住町・泉町です。
中には、国の重要文化財として指定されている家もあります。
旧今井家・美濃史料館(市指定文化財)
最も古い形式を残しているうだつ軒飾りです。鬼瓦が小さく、破風瓦の下に縣魚がないほか、破風瓦が左右それぞれ二枚ずつで構成されているのも他のうだつ飾りには見られない特徴です。
帳場、玄関を入ると帳場があります。紙問屋を営んでいた昔、商いに使われていました。
帳机・帳箪笥・小間よせ・接客用火鉢などが往時を偲ばせます。
明かり取り、天井から空へ向けて切り取られた明かり取りは、明治時代の改築によって取り付けられたものです。
天井からの高さは約3メートルあります。
小坂家(国指定重要文化財)
屋根全面に「起り(むくり)」をもつ美しい景観が特徴の、安永(1772年~81年)初期に建てられた造り酒屋です。
明治・大正・昭和とのさまざまな時代のおひな様はもちろん、美濃市の伝統産業である「美濃和紙」を衣装や小物に使った「上有知雛(こうずちびな)」
一目見ただけでは和紙と分からないほど精巧に作られています。
うだつが上がると言う、あの「うだつ」と、周囲に美濃紙で作った美濃祭りの「花みこし」のデザイン。
亀甲型の「の」が三つあるのは、美濃市の市章。受け枠に溝があるタイプ。
汚水管マンホール蓋
市章入りで中がコンクリート仕様。
汚水管マンホールの蓋
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