箸墓古墳

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箸墓古墳は宮内庁により「大市墓(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治定されている。

また周濠の一部は「箸中大池」としてため池百選の1つに選定されている。

左が後円部、右が前方部。

クビレ部から前方部の端に向けて勾配があり、先端は大きくせり上がっているのがよくわかります。
後円部は5段になっていますが、最上段の全面がこぶし大の石で覆われているようです。

日本最古の前方後円墳などと紹介されるが、箸墓よりも築造が早かったともされる出現期の前方後円墳(ホケノ山古墳、纒向勝山古墳、纒向矢塚古墳、神門5号墳、神門4号墳、辻畑古墳)が多数ある。

卑弥呼の墓説についてもよほど決定的なものが出土しない限り確定できない、せいぜい各説の議論を楽しむことだな。

冬季の大池は水が抜かれており墳丘部から落ちた小石が確認できる。

前方部先端の北側の墳丘の斜面には、川原石を用いた葺石が存在していることが確認されている。

大市は古墳のある地名。

『日本書紀』では崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹である倭迹迹日百襲姫命、『古事記』では、夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)命と紹介される。

倭迹迹日百襲姫命は『日本書紀』では三輪山の蛇神と結婚して、最後には、箸で女陰(ほと)を突いて死んでしまいます。
そこから箸墓という名がついたとされている。

しかし、箸が日本に伝来した時期(7世紀か)と説話の作成された時期とに大きなずれがあるところから、古墳を作成した集団である土師氏の墓、つまり土師墓から箸墓になったという土橋寛の説もある。

墳丘のそばまで民間で使用されている。

織田氏の統治下では墳丘上にお茶室が設けられていたという。

また、後円部南東の側面に測量図で溝が見られるのは、そのふもと近辺に江戸時代、箸中長者の経営する茶店がありその影響とも思われる。

主に伊勢参りの旅人を相手に飴・甘味が名物として売られていたという。

また、周濠に掛かる外堤も少し東から検出されている。

今日のお昼は箸墓古墳のすぐ西にある「三輪茶屋」でそうめんと柿の葉寿司。

店の奥に纏向遺跡の発掘調査展示コーナーがある。

実物の出土品などが展示され、桜井市埋蔵文化財センターがきっちり管理されています。
いわば、桜井市埋蔵文化財センターの出張展示コーナー。

また、入麺屋を描いた版画などのソーメンに関する展示もあり楽しめる。

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