山崎城跡 秀吉の居城

京都府
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山崎の戦い後、大坂城が築城するまで豊臣秀吉が山麓にある宝積寺も含めて本拠地としていた。
別名「天王山宝寺城」や「天王山城」とも呼ばれている。

青木葉谷展望台 (あおきばだにてんぼうだい) は、天王山頂への登り道の七合目付近にある。

展望台は、その名前の通り、が見えるスポットとなっているはずですが、木々が茂っていて、あまり視界は良くありません。

晴れた日には大阪平野から大阪城まで見えますが、冬は濃霧がでていることもあります。
桜のシーズンや紅葉のシーズンに訪れれば、豊かな自然が鑑賞できます。

酒解神社 二の鳥居の前に山崎合戦之地の碑がある。

この辺りからは桂川、宇治川、木津川の三点合流地点から淀川を経て枚方の辺りまで望める。

山崎城がある天王山(標高270.4m)は淀川を挟んで男山があり、宇治川、木津川、桂川の合流するところで、山城と摂津の国境にある。

山麓には西国街道があり、河川を含め軍事、経済、交通の要所である。

ここから左に入る、城の虎口があったのではないかと思われるが山崎城跡との案内は一切ない。

少し上がると、幕末期の史跡である「十七烈士の墓」がある。
幕末、尊皇攘夷を進めていた長州藩が幕府により京都を追い出され、更に池田屋事件で長州藩士が新選組に襲撃されると、長州藩は京都奪還を目指して大軍で上京。

京都御所で激しい戦いとなった有名な「蛤御門の変」が起こる。

この戦いで長州軍は大敗、山崎まで撤退。

従軍していた真木保臣ら17人の志士たちがここ天王山で殿(しんがり)を務め、長州軍主力部隊は帰国。

当時は朝敵だった長州藩および十七志士たちも、維新成立後は維新の志士として丁重にここに埋葬されたとのことだ。

陶板その5の奥には酒解神社本殿が鎮座する。
細い山道しかない山上とは思えない立派な社殿だ。

隣には重要文化財の神輿庫もある。

清洲会議で長浜城を柴田勝家へ譲り、秀吉の城は姫路城のみとなっていた。

『城と秀吉』ではその時の秀吉の気持ちを「山城・丹波両国のどこかに城を築きたい」とし、更に「いずれ勝家と雌雄を決するときがきるはず」と考える秀吉にとって、京都に近くに、しかも小谷城に匹敵する山城の候補地を物色するうち、天王山の場所に目をつけるようになったものと思われる」と推察している。

小谷城は秀吉が元亀元年(1570年)から天正元年(1573年)に攻め続けた城で、山城の優位性があったためではないかとしている。

現在の城郭は、最後の城主となった豊臣秀吉時代のものが多くあらわれている。

山崎城の最大幅は、東西約250m、南北約200mで本丸北側には東西35m、南北20mの小曲輪があり天守台と考えられている。

本丸を中心に、東側、南側、南西側に曲輪を配置し、北側は断崖の要害となっている。

さらにここから左に入るが、ここにも山崎城跡の案内は無い、天守への虎口と考えられる。

本丸跡、前方の小高いところが天守台。

山崎城跡概要図、酒解神社 二の鳥居から虎口b、虎口aを経て現在主郭部分にいる。

僅かに石垣の残存部分が見える。

天王山山頂碑、ここにも山崎城跡の表示はない、なぜだ、山崎の合戦から約3年半秀吉の居城がここにあったのだが、一般的に山崎城跡が知られていないのはこのような仕組みのせいではないか。

主郭下の二の丸かなと思われる。

縄張りの基本は四角形で築城されており、『図説中世城郭事典』によると「倭城の長大な登り石垣と空堀と第一戦に捉えた天守台のパターンに近いものが萌芽しており、織田・豊臣系の築城パターンの中でも、秀吉の個性が強く出たものと考えられる」とし、山崎城の築城パターンはその後の倭城に多く出てきており、豊臣系のものが色濃く出ているとしている。

豊臣秀吉が山崎城に在城中は、天王山から宝積寺一帯にかけて布陣していることから、寺を含めて城郭として機能し、寺から山頂にかけての防御はそれほど重要でなく、『図説中世城郭事典』によると「山頂のこの城郭は、全体の詰の城といった存在であったと考えられる」とし、山頂部分の縄張りは最後の砦として機能したとしている。

井戸跡、本来は地上部に木製の井桁が組まれ、水を汲み上げるための釣瓶もあったと思われるが、廃城とともに失われたものだろう。

完成時の深さは不明だが、35年ほど前(1980)には5mほどの深さでした。

山頂に掘られた井戸であることから地下水が湧き出るとは考えられず、雨水を溜めて利用していたのではないかと思われる。

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山崎合戦之地へのアクセス、行き方歩き方

京都府乙訓郡大山崎町
JR京都線 (東海道本線) 山崎駅,または阪急京都線大山崎駅.歩いておよそ30分