最初に選んだのは厭離庵(えんりあん)、一般的な紅葉の見頃を過ぎた頃、散りもみじが美しい場所。
数ある嵐山の名所の中でも、カメラマンが朝一番に一目散で目指す場所なのです。
しかし、初めての人には場所が分かりずらい、民家の間をすり抜けるように参道が通っている。
山門をくぐるとそこは別世界。
今日は特別公開日の最終日、さすがに散り葉も大半は枯れていますが、境内は静かでいい。
本日も開門前から10人ほどのカメラマンが待機していました。
「厭離庵」は、臨済宗天龍寺派の寺院。
藤原定家の小倉山荘跡で、定家が百人一首を撰したところという。
のち荒廃し、江戸中期に令泉家が修復。
霊元法皇から厭離庵の号を賜わる。
その後再び衰え、明治に入り復興。
書院のほか、茶席時雨亭、定家塚などがある。
通常は非公開で紅葉の時期のみ時限で公開される。
大混雑の嵐山の中にあっては穴場と言える名所。
書院、いつもはこの場所にカメラマンが這いつくばって散り紅葉の撮影に熱中する様が見られる。
明治四十三年白木屋社長大村彦太郎氏が佛堂と庫裡を建立され山岡鉄舟氏の娘素心尼が住職され以後尼寺となる
定家卿の山荘「時雨亭」再興の意をふまえて、大正12年に建てられた茶席「時雨亭」
時雨亭の傍らに立ち紅葉を眺める。
厭離とは汚れているこの世をいとい、離れること。
その元となるところは仏教用語である厭離穢土(おんりえど、えんりえど)にあるのではないか。
松平元康(後の徳川家康)は、桶狭間の戦いで今川義元討死の後、菩提寺である三河国大樹寺へと逃げ隠れた。
前途を悲観した元康は松平家の墓前で自害を試みるが、その時13代住職の登誉が「厭離穢土欣求浄土」と説き、切腹を思いとどまらせたと言われる。
すなわち、戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦いをしているから、国土が穢れきっている。
その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土をねがい求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成すとの意味であった。
本堂の手前にある定家塚。
時雨亭の傍に、定家が筆を洗う水を汲んでいた「柳の井」と呼ばれている井戸がある。
定家にまつわる記事。
定家は足に自信がない。
それでも同行したのは、院政実力者の内大臣、源通親が熊野に随従するため、なんとか取り入って権少将から中将に官位をあげてもらおうと切望したからだった・・・・続きを読む
小倉百人一首の殿堂 時雨殿
「時雨殿跡」は現在、二尊院、常寂光寺にもあり、どれが正確な跡地か謎に包まれたまま。
厭離庵は、応仁の乱によって荒廃後、江戸中期に和歌の宗家・令泉家(れいぜいけ)が修復したと伝わります。
ここの桜も都の桜の魁として御所内の近衛の糸桜と共に都に春を告げる。
冷泉家は定家の孫、為相(ためすけ)に始まる。
厭離庵へのアクセス、行き方歩き方
京都市右京区嵯峨二尊院門前善光寺山町2
075-861-2508
JR「京都駅」からJR嵯峨野線に乗換えJR「嵐山駅」下車 徒歩15分
京福電車嵐山本線 「嵐山駅」下車 徒歩15分ほど
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