この家は大阪府の北端、能勢町吉野から昭和35年(1960)に移したものですが、移築に際して、後世改造されていた部分を原形に復元しなおしています。
移設元:旧豊能郡能勢町吉野
この民家の特色は入母屋造茅葺(いりもやづくりかやぶき)の屋根をあげ妻入にし、内部は縦に2分して、片側を室にしている点です。
室の前面一間を開放的な広縁とし、土間共、この一間(広縁分)入ったところで戸締りするようになっています。
広縁の奥に座敷、その次に土間に向って開放的な台所をとり、後端は周囲を閉した納戸とし、片引戸の入口によって出入します。
このような民家は、全国的にはあまり類をみないものですが、京都府から兵庫県の一部にまたがって分布している。
現在大阪府内では殆ど能勢町に限って残されています。
その中でもこの家は最古のもので、定かな建築時期は不明ですが、恐らく300年以上を経過しているであろうと考えられます。
細い柱を殆ど一間毎に立て、開口部は極めて少なく、片引戸を多く用いているため、採光は極めて不十分です。
また、梁(はり)の架け方にも特色があり、屋根は束(つか)をたてて棟木を支え、垂木(たるき)を配して作られています。
入って左手は土間が奥まで続き、馬屋や炊事場になっている。
右側は部屋で、なんど(寝室)、だいどこ(居間)など。
だいどこには、いろりが土間近くに切ってあり、土間で仕事をしている時に、履き物を脱がなくても座れるように工夫されている。
かまどでお湯を沸かして、当時の生活の雰囲気を出していましたが、煙が充満していて長く居られません。
軒先には大八車があります。
この集落博物館の中では最も古い建物だそうです。
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