宝塔寺 京都市に現存する多宝塔で最古のもの

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「多宝塔(塔婆)」(重文)は、京都市に現存する多宝塔の中でも最古のものとされ、少なくとも室町時代、1438年以前の建立とみられている。

こちらの門は、四脚門(しきゃくもん)と呼ばれ 重要文化財に指定されています。

まっすぐ伸びる参道を歩いていくと仁王門が見えてきます。

鎌倉時代末期、京都で布教にあたっていた日像は当時の極楽寺の住持・良桂と法論を行った。
良桂は日像に帰依し、真言律宗寺院であった極楽寺は延慶年間(1308 – 1311年)日蓮宗に改宗した。

興国3年/康永元年(1342年)日像は妙顕寺で入寂、遺言により当寺において荼毘に付された。

寺は1467年(応仁元年)応仁の乱で焼失後、長らく再建されなかったが、1590年(天正18年)8世日銀が伽藍を再建した。

「仁王門」は、江戸時代、1711年に18世・日実上人の代に再興された。松平紀伊守信庸の寄進による。1670年と2000年に丹塗、天井画が復元され、250枚の牡丹の花が描かれている。

多宝塔の屋根瓦は、特徴的な「行基葺」になる。
丸瓦の瓦の継ぎ目に瓦の厚さ分の段差が残されており、独特の様式美となる。

本瓦葺きの場合には、重ねしろ(玉縁)を取るため、継ぎ目に段差が生じない。
行基葺は飛鳥時代、奈良時代に行われ、それ以後の例はほとんどない。

高麗門、奥に客殿。

慶長十三年(1608年)に建てられたこの本堂は、日蓮宗の寺院の本堂として京都では最も古い建物だそうです。

慶長13年(1608年)建立。入母屋造、本瓦葺き。桁行七間、梁間五間。釈迦如来像、十界曼荼羅のほか、日蓮と日像の像を安置する。

「源氏物語藤裏葉の苑」の碑、総門北の脇
源氏物語第33帖『藤裏葉(ふじのうらば)』の舞台となっている。

源氏物語33帖「藤ノ裏葉」に極楽寺として登場する。
藤原一族の菩提寺の極楽寺で、頭中将は母・大宮の一周忌を行った。

法要の後、桜舞う境内で光源氏の息子・夕霧は、頭中将の娘・雲居雁(くもいのかり)との婚姻を許された。

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宝塔寺へのアクセス、行き方歩き方

京都市伏見区深草宝塔寺山町32

京阪電気鉄道京阪本線深草駅から徒歩10分。
西日本旅客鉄道奈良線稲荷駅から徒歩10分。

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