臼杵磨崖仏

臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ)は、大分県臼杵市深田にある4群60余躯の磨崖仏。
一般には臼杵石仏(うすきせきぶつ)の名で知られている。

磨崖仏造営の時期や事情を証する史料は一切残っていない。

地元に伝わる「真名野長者伝説(炭焼き小五郎伝説)」は、用明天皇が登場することから6世紀後半が舞台と考えられるが、この伝説では長者が亡くなった娘の菩提を弔うために磨崖仏を彫らせたという。

しかし、実際の磨崖仏は、仏像の様式などから大部分は平安時代後期、一部は鎌倉時代の作と推定されている。

山岳仏教の衰退と共に忘れ去られてしまった磨崖仏は1000年の風雨に曝され続けることとなる。

元々阿蘇山からの火砕流が溶結した凝灰岩に掘られた石仏は脆く、また参拝者によって自然にできた道が大雨の際は川に変わり石仏を削り取った。

現在、多くの石仏の下半身が切り取られたように無くなっているのはそのためである。

劣悪な環境の中で仏頭の多くが剥落した。
中でも、最も有名な古園石仏群の大日如来像の仏頭は、1994年(平成6年)3月に保存修復が完了するまでの間、仏体下の台座に置かれたままであった。

修復にあたっては、元の姿に戻すべきという意見と、臼杵のシンボルともなっている像の姿を大きく変えることを憂慮する意見との間で激しい論争が起きたが、仏頭の元の位置への修復が国宝指定の条件として文部省(当時)から提示されたため、最終的に元の位置へ復元されることとなった。

鎌倉時代の上屋の礎石と伝えられている。

石仏が作り出された時代からあるということになる。

ホキ石仏第一群(堂ヶ迫石仏)は、4つの龕に分かれる。

第一龕と第二龕はともに如来坐像3躯を配し、第一龕はさらに脇侍菩薩立像2躯を配す。
第三龕は金剛界大日如来坐像を中心に、その左右に1躯ずつの如来坐像、さらに左右に1躯ずつの菩薩立像を配す。

第四龕は左脚を踏み下げて坐す地蔵菩薩像を中心に、その左右に十王像を配す。
以上のうち、第三・四龕は鎌倉時代の追刻とみられる。

他に、第一・二龕間に愛染明王坐像がある。

山王山石仏群は全3躯で、丈六の如来坐像を中心に、その左右に小さめの如来坐像1躯ずつを配する。

なかには掘りかけの石仏もある。

古園石仏群は全13躯で、金剛界大日如来坐像を中心に、その左右にそれぞれ如来像2躯、菩薩像2躯、明王像1躯、天部像1躯を配する。尊像構成の意図には諸説あり、金剛界曼荼羅を表したものとする説もある。

古園石仏群の大日如来像の仏頭は、1994年(平成6年)3月に保存修復が完了するまでの間、仏体下の台座に置かれたままであった。

駅前にはこの像が彫られた当初の姿を復元したレプリカが設置されている。
仏頭が再び体とつながったことで、参拝すると首がつながる、会社でリストラ(解雇)されないという俗説が生まれた。

山頭火は昭和四年に臼杵へ来ている。

十二月、九六位山から臼杵石仏へ向かった。
しぐれの時期に濡れながら山路を歩きに歩いて深田についた山頭火は、その後友人に当てた手紙にこう記している。

「秋風の送られて時雨に迎えられてここまで来ましたが、毎日の雨で詮方なしに『雨日聴雨受用不尽』などと呟いております。

仏陀の慈悲蔭いや深くして意外な供養を受けました」と。

また、「濡れ仏となって臼杵の石仏を拝観しました。
或は観賞し、礼拝しているうちに、すっかりうれしくなって、抱きつきたいやうな気分になりました。

そして豆腐で一杯やりました、こんなに親しみのある仏様、こんなにうまい酒がメッタにあるものではありません」と記し「しぐるるや石を刻んで仏となす」と詠っている。

山頭火は臼杵が気に入ったのか、八日間に及ぶ異例の長滞在であった。

この地で初めて黄色い彼岸花に出くわした、しかし、今回の度では結構行く先々でこの花に出くわす。
そう珍しい花でもなさそうだ。

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臼杵磨崖仏へのアクセス、行き方歩き方

大分県臼杵市大字深田804-1
TEL:0972-65-3300 臼杵石仏事務所

JR日豊本線臼杵駅からJRバス野津方面行きで約20分、臼杵石仏バス停下車すぐ

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