旧軽井沢駅舎記念館

甲信越

長野新幹線開業によりお役御免となった旧駅舎を記念館として利用した施設で元ホームに碓氷峠を行き来した機関車が保存されている。

明治43年に大改築された駅舎が、軽井沢駅北口西側に建築往時の姿で復元された。

横川~軽井沢間の碓氷峠のアプト式電車の模型が展示されている。

記念館2階は歴史記念室としてかつての貴賓室を再現している。
一部の建具やカーテンボックスなどは、取り壊し前に保管しておいたものを補修し再使用している。

元ホームに碓氷峠を行き来した機関車が保存されており、この改札口から元ホームへ出ることができる。

碓氷峠が粘着運転となってからの補機・EF63、しかもここにあるのは量産機トップの2号機。

粘着式鉄道(ねんちゃくしきてつどう)は、駆動力が車輪にかかって車輪とレールの間の静摩擦に頼って走行する鉄道を指す言葉。
粘着 (adhesion) という言葉は摩擦という意味で使われ、レールに車輪がくっつくという意味ではない。

車齢103年を迎える日本最古の電気機関車、10000形改めEC40形電気機関車。

明治26年に開通した信越本線の碓氷峠ですが、この区間には26ものトンネルがあるために煤煙被害がひどく、その対策として明治45年に電化された。

同線用に輸入されたドイツ・AEG製の機関車こそがこの10000形で、合計12両(10000‐10011)、のちに形式改称でEC40 1‐12となって、昭和11年に後継車のED42がデビューするまで活躍した。

信越本線横川 – 軽井沢間(碓氷峠)では、1893年(明治26年)の開業時からアプト式蒸気機関車が使用されていたが、26か所ものトンネルが存在するうえ、運転速度が低く同区間の運転に1時間15分を要したため、乗務員や乗客は機関車から出る煤煙に苦しめられていた。

本形式は同区間の電化に際して新製されたアプト式電気機関車で、1912年5月11日の同区間の電化の際に使用される電気機関車として、12両が輸入された。

ドイツのAEGおよびエスリンゲン社(Esslingen)の合作により1911年(明治44年)に製造された。

落成当初の形式番号は10000形10000 – 10011と称したが、1928年(昭和3年)10月の車両形式称号規程改正により、EC40形EC40 1 – EC40 12に改められた。

しなの鉄道発足にあたり湘南色のまま譲渡されたが、後にしなの鉄道色に変更。

2008年にイベント用に湘南色に塗装変更、2009年に一旦しなの鉄道色に戻されさよなら運転を控えて2010年に再度湘南色になった。

2013年4月にさよなら運転を行い7月に軽井沢駅構内にクモハのみ保存された。

軌道用マルチプルタイタンパー(MTT)、しなの鉄道設立といっしょに、八王子のほうからやって来た。  

お客様の乗り心地を良くするために、電車の揺れの原因になる線路のゆがみを一生懸命直してきました。  

しかし度重なる故障には勝てず、2003年3月で引退することになり、現在は第3の人生を、軽井沢の旧軽井沢駅舎記念館で送っています。

草軽電鉄の電気機関車デキ12、電気機関車の時代の「デキ形」は、長いパンタグラフとL字型の車体に特徴がある。

自重が軽く、車輪が小さい為に坂の多い軌道上ではスリップ、脱線もあり、特に凍結時には運転が困難だった。
しかし、その姿はかぶとむしの愛称で呼ばれ最も親しまれた。

映画に登場したデキ12。
「マダムと女房」 昭和6年(1931)田中絹代主演、日本初のトーキー映画として軽便鉄道を全国に知らせるきっかけとなった。

「彼女はいやといいました」 昭和8年(1933)斉藤達雄・桑野通子主演

「カルメン故郷に帰る」 昭和25年(1950)木下恵介監督・高峰秀子主演、我国初のカラー映画、北軽井沢駅が中心に 。

「月はとっても青いから」 昭和32年(1957)菅原都々子主演、同名の主題歌とともに大ヒットを記録。

「山鳩」 昭和34年(1959)森繁久弥・岡田茉莉子主演、当時の駅長さんも映画に出演。

現在の軽井沢駅。

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旧軽井沢駅舎記念館へのアクセス、行き方歩き方

北佐久郡軽井沢町軽井沢1178 -1246
TEL 0267-42-1398

JR北陸(長野)新幹線軽井沢駅下車→徒歩 2分