石垣の街厳原の早朝散策

九州

昼食までの時間厳原の街を数度にわたって散策した。
とにかく石垣の多い街だ。

『古事記』の建国神話には、最初に生まれた島々(「大八洲」)の1つとして「津島」と記されている。
『日本書紀』の国産み神話のなかには「対馬洲」「対馬島」の表記で登場する。

『魏志』倭人伝では、「対馬国」は倭の一国として登場する。
帯方郡から邪馬台国への経路の途上、「狗邪韓国」(韓国慶尚南道金海)の記述につづいて「一海を渡ること一千余里」の南に位置するとしており、邪馬台国に服属した30余国のなかの一国であった。

そこには、対馬は、居る処は絶島で、土地は山が険しく、深林が多く、道は獣の径(みち)のようであり、千余戸の家はあるものの、良田がないので海産物を採集して自活し、船による南北の交易によって生活していたと記されている。

また、他の倭の諸国同様に、「卑狗」(ヒコ)と呼ばれる大官と「卑奴母離」(ヒナモリ)と呼ばれる副官による統治がなされていたとする。

その後現在に至るまで大勢は変わらず、僅かに幹線道路が整備されたのみで、『魏志』倭人伝の記述のままだ。

武家屋敷跡、あちこちに石垣塀に囲まれた武家屋敷跡があり、当時の面影を残します。
長崎県対馬地方局の裏手に比較的長い石垣塀が残っています。

今屋敷の防火壁

石垣は対馬の名物であるが、火災の類焼を防ぐため、火切として高く築かれた石垣の防火壁が、昔の町割の線に沿って設けられた。 
現在残っているのは数箇所に過ぎないが、最も状況が良いのが左の壁である。

刻銘には、「天保15年甲辰正月消防為火切築え高サ一丈三尺根幅五尺」とある。 
石垣の全面に火で焙られた痕跡があり、府中(厳原)町屋の軒並を護った貴重な遺跡である。 

昔は江戸市中にも火切があったが、現在は跡形もなく消滅し、日本中で遺っているのは対馬の厳原だけという。

                    厳原町教育委員会

大永6年(1526年)、宗将盛が現在の厳原、府中の「池」に少し内陸部の「中村」から館を移します。

館が建てられたため、付近を今屋敷とよぶようになり、池の神社前の通りも今屋敷通りという名前が付いています。

ただ、この館が築かれた二年後の1528年、宗盛治の乱が起こり、館は焼失。同時に宗家累代の古記録も消失。

街を散策していて気付くのは路面に表示された町名、迷わずに散策できます。

古代において、新羅から日本には540年(欽明天皇元年)から929年(延長7年)まで89回におよび入朝しており、日本から新羅へは571年(欽明天皇32年)から882年(元慶6年)まで45回にわたり使節(遣新羅使)を派遣している。

これらは、すべて対馬を経由した。

『朝鮮通信使』は、室町時代以後、朝鮮国王が日本に派遣した使節の、1636年以降の名称。

江戸時代には 12回に及んだ。
一行はプサン (釜山) から対馬を経て大坂に到着し、京都から江戸へ東海道を下った。

国分寺、江戸時代、国分寺は朝鮮通信使来聘に際し客館として使われた。

享保17年(1732)の府中大火で堂塔を焼失したが再建され、文化8年(1811)の朝鮮通信使の対馬来聘に際し、客館となる本殿と山門の改築が行われた。

明治に客館は解体されたが、その跡地は今も残っていて字名を客館という。

文化八年朝鮮通信使幕府使者 林 大学頭宿館跡。
徳川将軍の襲職(代替わり)などのときに慶賀のために訪れましたが、その都度、対馬藩が警護して江戸までの半年もかかる旅を案内しました

来日した『朝鮮通信使』は、江戸時代の260年間に12回。
最後の通信使(1811)は江戸城まで登らず、江戸からも林大学、遠山左衛門など幕府の要人が対馬に集まり、朝鮮国王使を盛大に迎えました。

宿泊したホテルの前に集まり、散策を待つ人たち。

厳原川の欄干には朝鮮通信使の絵がはめ込まれている、街中通信使の感があ。。

厳原川の護岸に貼られた絵、金石城の様子を描いたものかな。

厳原八幡宮神社、社伝によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、対馬の清水山に行啓し、この山は神霊が宿る山であるとして山頂に磐境を設け、神鏡と幣帛を置いて天神地祇を祀ったという。

655年(白鳳6年)、天武天皇の命により清水山の麓に社殿を造営して八幡神を祀ったのに始まると伝える。

正面の大きな一の鳥居の他に、奥には二の鳥居がさらに2つある。
右側の二の鳥居の先には階段が2本、左側の二の鳥居の先にも階段が1本、合計3本の階段がある。

向かって一番右の階段を上がったところにあるのが八幡宮神社と、境内社である平(ひらの)神社(=式内社(国家が祭祀した神社))。

小さな銅像は、三韓征伐を行ったとされる神功皇后。

祭神は、応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・姫大神・武内宿禰。

境内には大木が何本もあり、大きな祠のある木もある。

中を覗くと青空が見えている。

路地裏を歩くとたくさんの猫に遭遇する、これは子猫三匹を従えたネコ。

ちなみに、対馬(つしま)は、日本の九州の北方の玄界灘にある、長崎県に属する島である。
面積は日本第10位で淡路島より大きい。

1 本州 世界第7位

2 北海道 世界第21位

3 九州 世界第37位

4 四国 世界第50位

5 択捉島 北海道 ロシア連邦との北方領土問題がある・日本最北端

6 国後島 北海道 ロシア連邦との北方領土問題がある

7 沖縄本島 沖縄県

8 佐渡島 新潟県佐渡市 日本海最大

9 奄美大島 鹿児島県

10 対馬 長崎県対馬市

11 淡路島 兵庫県 瀬戸内海最大

対馬の人口は約3万3000人(2014年)、方や淡路島の人口は2015年5月1日現在 135,582人

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厳原へのアクセス、行き方歩き方

博多港(福岡市)→厳原港
ジェットフォイル(直行便)  約1時間45分
ジェットフォイル(壱岐経由) 約2時間15分
フェリー(壱岐経由)     約4時間35分