豪快な二段落としの滝 龍門の滝

九州

今回最後の訪問地は、国指定の名勝地で、筑紫溶岩台地を削ってできた落差20メートル、幅40メートルの豪快な二段落としの滝 龍門の滝。

中間に滝壷がある二段落としの滝で、全体としては幅40m、落差20mの滝である。

1段目の滝は深い滝壷を穿っており、この滝壺に溜まった水が流れ出す2段目の滝は滑らかで、夏季には滝滑りの子どもでにぎわう。

この滝滑りの様子は地元の夏の風物詩ともなっている。

鎌倉時代に宋から渡来した高僧蘭渓道隆禅師が、中国の黄河上流の龍門に似ていることから、この滝を竜門の滝と命名し、この地に竜門寺を建立したといわれる由緒ある名瀑である。

2段目の滝は滑らかで、夏季には滝滑りの子どもでにぎわう。

下流の流れ。

淵は泡が渦を巻く。

少し下流に下ると脇から別の滝が合流する。

竜門寺境内からの滝、少し高いところにあるので一段目の滝壺がわずかに見える。

牛頭(ごず)観音塔を見かけた。

馬頭観音塔は至る所で見かけますが、牛頭観音塔は珍しく、まれにあっても「牛頭観音」と刻字された文字塔で、角があり明らかに牛とわかる顔を頭上に載せた観音像の石仏を見たのは初めてです。

馬頭観音はヒンドゥー教の神「ハヤグリーヴァ(馬の頭を持つもの)」が仏教に採り入れられて六観音の一つになったものと言われ、衆生の無智・煩悩を取り除き諸悪を懲らしめる菩薩ですが、牛頭観音という名の菩薩は仏教界には存在しません。

馬頭観音塔のほとんどは、馬頭観音菩薩が頭上に馬頭を抱く姿から、本来の教義から離れて亡くなった荷役馬や農耕馬を供養するために建てられており、この牛頭観音塔も飼育していた牛の供養塔として建てられたものと思われます。

龕堂(がんどう)の中には沢山の石仏がある。

中国の明末の高僧隠元禅師が、承応3年(1650年)7月、長崎へ来航されてから五年後の萬冶2年(1659年)徳川4代将軍家綱公より、山城国宇治大和田に広大な土地と僧糧を下賜され新地開創の令旨によって寛文元年、黄檗山万福寺が創建され黄檗宗が誕生した。

このような恩顧と因縁によって葵の紋の使用が許されました。

徳川家のは、巴葵ですが、黄檗で許されたものは、うら葵(三つ葉葵)といわれています。

尚、大本山万福寺は、徳川家初代、家康公より15代慶喜公までの霊牌が安置されていますが、4代将軍家綱公のご命日五月八日には、管長猊下をはじめ、一山の僧侶が出頭して法要が厳修されています。

境内の案内板より

宋の蘭渓道隆禅師が鎌倉時代中期に建立した竜門寺、龍門の滝の由来の説明板があった。

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龍門の滝へのアクセス、行き方歩き方

大分県玖珠郡九重町大字松木
TEL 0973-76-3150

【電車】JR豊後森駅からタクシーで約15分
【車】大分自動車道九重ICから約15分、玖珠ICから約15分