司馬遼太郎が歩いた道を辿る 彌榮神社(いやさかじんじゃ)

彌榮神社(いやさかじんじゃ)通称名;弥栄(やえ)神社、創建年代は不明ですが、祭神は須佐之男命です。伝えによれば、天正の頃、石山合戦により村落とともに消失したと伝えられています。

その後、慶長5年(1600)に片桐且元より社地を拝領し社殿を再建したと宮の記録に記されています。
明治5年に現在の社名に変わりました。

元禄時代の当社寺社御改帳に記載された寸法、様式、絵模様から現存の本殿はこの時代のものと推察されるそうです。(彌榮神社由緒より)

稲荷神社の鳥居の朱が目に映えます。

稲荷神は元々は農業神であるが、狐は穀物を食い荒らすネズミを捕食すること、狐の色や尻尾の形が実った稲穂に似ていることから、狐が稲荷神の使いに位置付けられた。

貴狐天皇(ダキニ天)、ミケツ(三狐・御食津)、野狐、狐、飯綱とも呼ばれる。
稲荷系の神社では、玉藻の前(九尾の狐・殺生石)が祭られていることもある。

神社の前にゴミが積み上げられている、大阪だけの習慣なのかな。
みっともないのでやめてほしいと思う。

彌榮神社北側の一段高いところは、中小坂の村落を洪水から守るために築かれた堤の跡。

大坂夏の陣のおり、若江で陣を張っていた豊臣方の武将木村重成が大坂城の救援に向かいここまで来たとき、大坂城が炎に包まれていたため、馬の上に立って大坂城に別れを告げ、再び若江に戻り戦死。

このことからここを馬立と呼ぶようになったと言われています。

彌榮神社へのアクセス、行き方歩き方

東大阪市中小阪2-3-22
06-6721-1427

近鉄奈良線小阪駅南東へ徒歩10分

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