宮本武蔵開悟の地 八大神社

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叡山電鉄「一乗寺」駅下車、東の比叡山の方へ向う。
白川通りを渡りさらに進むと、すぐに宮本武蔵が吉岡一門と決闘をした「一乗寺下り松」がある。
さらに真っ直ぐ行くと詩仙堂で、その東隣が八大神社。

八大神社は、永仁2年(1294)に創建された。
応仁の乱により焼失しましたが、慶長元年(1596)に再建されました。
八大神社は、八坂神社(祇園社)と同格で、皇居守護神12社中の1社と数えられていました。

北の祇園社として方除や厄除や学業の神として厚く信仰されてきました。
歴代天皇などの修学院離宮行幸の時には、白銀などが奉納された事がある由緒ある神社です。

本殿
1926年(皇紀2586)大正15年現在の本殿が造営される。

平成15年に宮本武蔵像がブロンズ像で建立された。
小説「宮本武蔵」の中で決闘時の武蔵の年齢が二十一歳であった事から、若かりし武蔵をイメージしデザインされた。

一乗寺下り松 古木
宮本武蔵の決闘の時代の前から昭和二十年頃まで生きた一乗寺下り松(さがりまつ)の大木の一部が、神社境内の本殿の西側に大切に祀られています。
毎年、五月の大祭と正月の前に、注連縄が新しくされます。

武蔵が一乗寺下り松に立って多数の敵にまみえた日のまだ朝も暗いうちに、彼は、死を期したこの危地へ来る途中で、八大神社の前で足を止めて、「勝たせたまえ。きょうこそは武蔵が一生の大事。」と彼は社頭を見かけて祈ろうとした。

拝殿の鰐口へまで手を触れかけたが、そのとき彼のどん底からむくむくわいた彼の本質が、その気持ちを一蹴して、鰐口の鈴を振らずに、また祈りもせずに、そのまま下り松の決戦の場へ駆け向ったという。

武蔵が自分の壁書としていた独行道のうちに、「我れ神仏を尊んで神仏を恃(たの)まず」 と書いているその信念は、その折ふと心にひらめいた彼の悟道だったにちがいない。

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八大神社へのアクセス、行き方歩き方

住所:〒606-8156 京都市左京区一乗寺松原町1番地
電話 075-781-9076  

叡山電鉄「一乗寺駅」より徒歩10分

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