若狭の古刹・名刹 高成寺


高成寺(こうじょうじ)は、福井県小浜市青井にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は青井山。

本尊は千手観音菩薩。 小浜公園の敷地に隣接する。

山門をくぐれば二層の見事な楼門がある。

荘厳な禅寺の伽藍の様相を呈している。

元は暦応2年(1339年)に足利尊氏の命を受け諸国に建立した若狭国安国寺。

康永3年(1344年)に炎上したため、若狭守護であった大高重成が高成寺として再興した。

寺号は大高重成の名に由来する。
若狭観音霊場第21番礼所でもある。

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若狭の古刹・名刹 空印寺

空印寺は若狭守護武田元光が大永2年(1522年)後瀬山城を築き守護館も当時長源寺のあった後瀬山城の山麓に移した。

現在の空印寺はこの敷地跡にある。

水堀を廻らせた堅固な若狭守護館は、戦国時代以降も麓の城として利用され織田信長の重臣である丹羽長秀や豊臣秀吉の親族である浅野長政、木下勝俊なども平時はこの地に住した。

背後は後瀬山、後瀬山城跡が残る。

京極高次が関ヶ原の戦いの論功行賞により若狭国主となり、同館の主となった。

高次没後、息子の京極忠高が旧地を京極高次の牌所とし泰雲寺を建立したが、京極家は寛永11年(1634年)松江へ転封となる。

薬医門。

その後小浜藩主酒井家の菩提寺として、酒井忠勝により父酒井忠利の霊骨を移して建康寺と称され、二代藩主酒井忠直が酒井忠勝の七回忌法要を執り行うに当り寛文8年(1688年)伽藍を増築し空印寺となった。

八百比丘尼が後瀬山中の神社の傍らに庵を建て居住し、800歳で入定した洞穴がある。

654年。斉明天皇の御世、若狭の国の高橋長者という金持ちの家に、玉のように美しい娘が生まれました。

娘が16歳の時、父親の高橋長者はある男から夕食に招かれます。
素性はよく分からないものの、いつのまにか村に住みつき、周りの者に溶け込んでた不思議な男でした。

高橋長者と近所の者が男の家にでかけてみると、それはそれは豪華な大豪邸。圧倒されつつも男に案内されて屋敷を見物してまわりました。
そして調理場で不思議なものを目にします。

二人の調理人がまな板の前で何やら相談しているのですが、まな板の上には肩から下が魚、白い二本の腕とザンバラ髪の子供の頭を持つ、奇妙な生き物。料理人の手には包丁が握られています。何だこれは? これを料理するというのか?

やがてご馳走が運ばれてきました。
豪邸の主人は「竜宮のみやげですので、ぜひ食べていってください」と言いますが、招待された長者たちは気味悪がって箸をつけられません。

そそくさと立ち去ろうとする長者たちに、男は奇妙な生き物の肉をお土産に押しつけました。

家に帰ると娘はお土産の肉に興味津々。
思わず口に運ぶとなんたる美味か。

ついつい全部食べきってしまいました。
それからというもの、娘は全く老いることがなくなってしまったのです。

かくして不老不死となった娘は頭を剃り、八百比丘尼として全国行脚を続けながら人びとに神仏への信仰を説く旅を続けたのであります。
これが有名な八百比丘尼伝説。全国各地に伝わっていますが、空印寺のように入定したという地は珍しい。

面山瑞方大和尚は江戸時代中期の方で、曹洞宗学の基礎をつくられた優れた宗学者でありました。

卍山道白大和尚と並び称される復古改革運動(大寺への出世主義に陥った宗門を道元禅師の純粋禅に帰そうとする運動)のリーダー的存在でありました。

24歳の時、神奈川県羽鳥村老梅庵に於いて、一千日閉関(門を閉じて外出しない)の修行を行いました。

その後、請いに応じて講筵こうえんを行い、多くの著述を残しています。
主な住職地は禅定寺(佐賀県江北町)、空印寺(福井県小浜市)。

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夏の装い けいはんな記念公園

けいはんな記念公園はすっかり夏の装い。
木陰を吹き抜ける風は爽やかです。

モニュメント「嵐」

ザクロが実をつけています。

ザクロ(石榴、柘榴、若榴、学名: Punica granatum)は、ミソハギ科ザクロ属の1種の落葉小高木。

タカノツメ(鷹の爪、Gamblea innovans)は、ウコギ科、タカノツメ属の樹木。

落葉高木で雌雄異株。別名イモノキ。

スミレの仲間、草地に可憐に咲いています。

スミレ科にはおよそ16属850種があるが、そのうちでスミレ属が400種を占める。

日本産のものはすべて草本で、河畔のヨシ群落に生息するタチスミレのように背の高くなる例外もあるが、ほとんどがごく背が低い草。

茎を地表より高く伸ばさないものが多い。
葉はハート型か、それを引き伸ばしたような形をしている。

お昼ご飯の席にこがねむしの仲間が登場。

長谷池の西の端の湿地に半夏生が咲きました。

夏至を過ぎた頃に長さ10~15cmほどの穂状花序を葉の付けねにつける。

また、花のすぐ下に位置する葉の表面が白く変化し花弁の役目を果たすのが本種の特徴。

開花期にはドクダミに似た独特の匂いを出す。

名前の由来は、半夏生(太陽の黄経が100°になる日。グレゴリオ暦で毎年7月2日頃)の頃に花を咲かせることに由来する説と、葉の一部を残して白く変化する様子から「半化粧」とする説がある。

また、葉の片面(表面)だけが白くなることから古くはカタシログサ(片白草)とも呼ばれている。

池の中ほどではカメさんが連れだって甲羅干し、そばにはカワウ、いつも一緒だ、仲がいいのかな。

巨石群の中にアジサイが。

巨石をバックにはいポーズ。

紅葉谷の木漏れ日の中、撮影にはもってこいの環境です。

紅葉谷の小径、みどりがきれいです。

谷あいの道を抜け西入口へ向かう。

傍らにはや、桔梗が咲く。
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若狭の古刹・名刹 羽賀寺

季節の話題を挟んでいたらなかなか進まない、2番目の訪問地は羽賀寺。

かわいいお地蔵さんのお出迎え。

参道の木立と階段が美しい。

羽賀寺(はがじ)は、福井県小浜市羽賀にある高野山真言宗の寺院。山号は本浄山。本尊は十一面観音。

霊亀2年(716年)に、元正天皇の勅願によって創建されたと伝えられる。
最盛期には子院18を数えたが、天災などで消失し、近代以降は本堂のみが残る。

元正天皇の御影との伝説がある木造十一面観音菩薩立像、堂内撮影禁止につきいただいた絵ハガキによる。

羽賀寺の本尊で、10世紀初期の作。像高146.4cm。
元正天皇の御影との伝説がある。

檜の一木造、翻波式(ほんぱしき)衣文、膝に届く長い腕など、いずれも平安前期の古様をとどめており、瞑想的な眉目も弘仁・貞観文化の観音像に共通する。

本像の最大の特色は、造立当初の彩色がほぼ完全に残っていること。

宝冠は代赭(たいしゃ)色、条帛(じょうはく)や天衣(てんね)は緑、裳(も)は朱が用いられ、下地が5mmを越える厚さであることが彩色の残存につながったと見られる。

この極彩色の像容から、若狭の仏像の中でも特に知名度が高い。

(「条帛」は左肩から斜めに掛けているタスキ状の布。「裳」は下半身にまとうスカート状のもの)

天ヶ城山(天下城山・古名を阿奈志山) 266mへの道。

アジサイはまだ咲き始めといったところ。

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新緑の西教寺


山門は坂本城のものを移築。

信長による比叡山焼き討ちの後、近江国滋賀郡は明智光秀に与えられ、光秀はこの地に坂本城を築いた。

光秀は坂本城と地理的にも近かった西教寺との関係が深く、寺の復興にも光秀の援助があったと推定されている。

光秀が戦死した部下の供養のため、西教寺に供養米を寄進した際の寄進状が寺に現存している。
また、境内には光秀の供養塔が立っている。

参道は緑にあふれる。

フジの実も見事に成長。

最後の坂を登り切り本堂へ向かう。

本堂前方西側の納骨堂の裏側の一段高い石垣の上に、阿弥陀如来を中心に、不動・天部など計27体の石仏が並んでいる。

阿弥陀如来に随行し、笙や横笛・琵琶・琴などを奏でる二十五菩薩を軟質な青緑色の笏谷石の特色を生かして精緻に彫った秀作である。

天正12年(1584)に、近江栗田郡の富田民部進が、幼くして没した息女花清妙蓮童女のため、極楽浄土を願って、造立したもので、その旨を記した刻銘がある。

真盛上人廟に向かう。

地獄絵のような掛け軸。

茶の間。

手水、杓の形も美しい。

ちょうどこの日は明智光秀の命日(14日)にちなみ、光秀ゆかりの天台真盛宗の総本山、西教寺(大津市坂本)で追善法要が行われた。

全国の光秀ファンで作る「明智光秀公顕彰会」のメンバーら約100人が参加し、光秀に思いをはせた。

勅使門への石段、木漏れ日が美しい。

穴太積みの石垣はまるで城郭のよう。
石垣が西日を受けて輝く。

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新緑の日吉大社


緑濃いこの参道、紅葉期には真っ赤に染まる。

全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社。

通称として山王権現とも呼ばれる。
猿を神の使いとする。

西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。
社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。

大宮川、大宮橋から木漏れ日の川を見る。

見上げれば陽に透かしたしたシダの葉が美しい。

山王鳥居の特徴は明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をしていて、仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一を表しているとされる。

山王信仰の象徴であるため、山王鳥居と呼ばれている。

山王信仰とは、最澄が比叡山に天台宗を開いた折、唐の天台山の守護神「山王元弼真君(さんのうげんひつしんくん)」にちなみ、既に比叡山の守護神としてご鎮座されていた日吉大神を「山王権現」と称する、神仏習合の信仰。

独特の鳥居である事から、分霊社の中にはこの鳥居を模して建立する例も少なくない。

東本宮は、本来、牛尾山(八王子山)山頂の磐座を挟んだ2社(牛尾神社・三宮神社)のうち、牛尾神社の里宮として、崇神天皇7年に創祀されたものとも伝えられている。

一段上の宇佐宮を目指す。

白山宮の境内に祀られている神々。

そもそも猿は全国に生息しているが、何故か古来より日吉といえば猿といわれ、いつの頃からか魔除けの象徴として大切に扱われるようになった。

「まさる」は「魔が去る」「勝る」に通じ、大変縁起のよいお猿。

元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちにより日吉大社も灰燼に帰した。

現在見られる建造物は安土桃山時代以降、天正14年(1586年)から再建されたもの。

信長の死後、豊臣秀吉と徳川家康は山王信仰が篤く、特に秀吉は、当社の復興に尽力した。

これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから、当社を特別な神社と考えたため。

西本宮 本殿(国宝)

西本宮の祭神・大己貴神については、近江京遷都の翌年である天智天皇7年、大津京鎮護のため大神神社の神が勧請されたという。

以降、元々の神である大山咋神よりも大己貴神の方が上位とみなされるようになり、「大宮」と呼ばれた。

今日のお昼は創業三百余年の鶴喜そば。

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雨後の住吉公園

梅雨入り以来初めての本格的な雨、小降りになったので公園へ出かける。

雨が似合う花

くすんだ紫陽花の色は太陽の下よりも雨雲の下のほうが映えます。
花のグラデーションがぼかしの効果になって、美しい風情を醸し出します。

万葉集には二首のみ。

言問はぬ木すら味狭藍諸弟(もろと)らが練の村戸(むらと)にあざむかえけり(大伴家持 巻4 773)

紫陽花の八重咲く如やつ代にをいませわが背子見つつ思はむ(しのはむ)(橘諸兄 巻20 4448)

日本、ヨーロッパ、アメリカなどで観賞用に広く栽培され、多くの品種が作り出されている。
原産地は日本で、ヨーロッパで品種改良されたものはセイヨウアジサイ と呼ばれる。

幕末に来日した医師で博物学者のシーボルト(1796〜1866年)はアジサイをヨーロッパに紹介したことで知られています。

彼は日本人妻の楠本滝(くすもとたき)を「オタクさん」と呼んでいたようで、アジサイを「ハイドランジア・オタクサ」と命名しました。
「ハイドランジア」とは「水の器」という意味。種子の入っているサヤが水の器に似ているからです。

しかし、すでにアジサイは18世紀に中国経由でヨーロッパに伝えられ、別の学名がついていたので学名としては却下。ですが、ヨーロッパでは、今もアジサイは「オタクサ」と通称されています。

ノウゼンカズラの古名は「ノウセウ(陵苕)」または「ノセウ」で、それが訛って「ノウゼン」となった。

また蔓が他の木に絡み攀じ登るため「カズラ」の名がついた。
また古くは「まかやき(陵苕)」とも呼ばれた。

「ノウセウ」については凌霄(りょうしょう)の朝鮮読み「ヌンソ」の訛りとする説もある。

正岡子規の俳句に「家毎に凌霄咲ける温泉(いでゆ)かな」がある。

草むらに落ちた花、草むらの露がきれいです。

雨の止み間にスズメもお散歩。

旅人に 雨降り花の 咲きにけり」・・・・・一茶 (江戸からの途中、雨の中、長野豊野町の正見寺にてホタルブクロを詠む)

ホタルブクロの名の通り蛍の飛ぶ頃に咲き、丁度その頃は梅雨の時期に当たるので、一茶の句にあるように雨降り花の別名もあって、季節感のある花の名前を持っている。

また、雨が降り出しました、カモたちも雨宿り。

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薬師寺のハス

唐招提寺に続いて薬師寺、今日はハスデーです。

『日本書紀』天武天皇9年(680年)11月12日条には、天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、百僧を得度(出家)させたとある。

薬師寺東塔の屋上にある相輪支柱に刻まれた「東塔檫銘」(とうとうさつめい、「さつ」は木扁に「察」)にも同趣旨の記述がある。

しかし、天武天皇は寺の完成を見ずに朱鳥元年(686年)没し、伽藍整備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれた。

東塔は現在修理中。

平成32年の6月頃に修理が完了する予定。

国宝。現在寺に残る建築のうち、奈良時代(天平年間)にさかのぼる唯一のもの。
総高34.1メートル(相輪含む)。

日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さを誇る。

薬師寺の蓮、たくさんのハスの鉢植えが集まっている光景は、圧巻。

例年の薬師寺の蓮の咲き始めは、6月上中旬。
見ごろの時期は、6月中旬から8月上旬。

薬師寺、唐招提寺、喜光寺が共同企画「奈良・西ノ京ロータスロード~蓮とご朱印めぐりを楽しむ旅」を6月10日~8月16日に実施。

特別ご朱印めぐりは朱印帳が用意され、この期間限定の朱印を受けることができる。

共通拝観券は1枚3200円で、3カ寺の拝観料と朱印の納経料、朱印帳が含まれる。

朱印を受けるとハスの花弁をかたどった散華(さんげ)ももらえる。

こちらは拝観料が少し高めです。

玄奘三蔵院伽藍公開時。
大人1,100円、中学生700円、小学生300円。

玄奘三蔵院伽藍非公開時。
大人800円、中学生400円、小学生200円。

薬師寺の蓮だけが目当てなら、非公開時を狙って下さい。
大人800円で拝観可能です。

突然でしたが眞子さまにお会いしました。

婚約が発表され、ブータン訪問を終えられたばかり、お忙しそうです。

写真撮影は控えるようにとSPから注意、坊主の渋面と眞子さまのお茶目そうな笑顔。

ご両親の秋篠宮ご夫妻も先日訪問されたばかり。

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唐招提寺のハス

唐招提寺は、奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院。
南都六宗の1つである律宗の総本山。

『続日本紀』等によれば、唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたもの。

寺名の「招提」は、サンスクリット由来の中国語で、元来は「四方」「広い」などの意味を表す語であったが、「寺」「院」「精舎」「蘭若」などと同様、仏教寺院(私寺)を指す一般名詞として使われていた。

つまり、唐招提寺という寺号は、「唐僧鑑真和上のための寺」という意味合い。

先ず鑑真の廟所へ向かう。

廟所は広大で静まり返り厳かな雰囲気だ。

鬱蒼と茂る林と一面の苔が美しい。

廟は広大な庭の奥にある。

鑑真和上の故郷である、江蘇省揚州市の名花で、ガクアジサイに似た白い可憐な花を咲かせる「瓊花(けいか)」が鑑真和上の御廟の傍にある。

1982年6月、唐招提寺を訪問された中国の首相・趙紫陽(当時)に、苗木を一株植樹して頂いたもの。
鑑真和上ゆかりの名花 瓊花(けいか)と緑滴る唐招提寺
鑑真和上の御廟のそばと、御影堂供華園(くげえん)では、和上の故郷、中国揚州から送 … 続きを読む →


金堂の西側にある戒壇は僧となるための授戒が行われる場所で鎌倉時代に造られたが建物は失われ石段のみが残っている。

1980年に石段の上にインド・サンチーの古塔を模した宝塔が造られた。

当時の日本では正式の授戒の制度はまだなかったので資格を持たない者が私的に出家してしまい、税や労役から逃れるために僧となる者が多く社会秩序の乱れにつながっていた。

そこで聖武天皇の勅命により遣唐使と共に唐に渡った普照(ふしょう)と栄叡(ようえい)という留学僧の決死の嘆願により、正式の伝戒の師として来日することになったのが鑑真和上であった。

初めの5年間は東大寺の戒壇院にて受戒をしておられたが、のちに平城京右京五条二坊の新田部(にいたべ)親王邸の跡地に寺領を譲り受け、厳しい戒律伝導の拠点として現在の唐招提寺を建立 。

この講堂は平城京に建っていた東朝集殿という建物を移築・改造したものであり、まさに平城宮の遺構として現存する唯一の建造物として非常に価値が高い。

鑑真大和上が御将来されたと伝えられる「唐招提寺蓮」をはじめ、種類別に表示された蓮や境内2ヶ所の池に生育する数多くの種類の蓮「聖なる花」が華麗に咲く。

特に注目なのが、和上伝来の品種。
3種類あり、以下の通り。

唐招提寺蓮(赤・八重)。
唐招提寺青蓮(白・一重)。
奈良蓮(赤・半八重)。

例年の唐招提寺の蓮の咲き始めは、6月上中旬。
見ごろの時期は、蓮鉢と蓮池で異なります。

蓮鉢の見頃は、6月中旬から7月下旬。
蓮池の見頃は、7月中旬から9月初旬。

一般的に、ハスが最も美しく見れる時間帯は朝。
昼過ぎに訪れても、見れない事が多い。

渡航失敗を重ね、唐から来日したときには失明していたと考えられていた高僧、鑑真和上(688~763)について、来日当初は目が見えていたのではないか、とする説を西山厚・奈良国立博物館学芸部長が、唐招提寺(奈良市)で行った講演で披露した。

西山部長は、これまでに書状の筆跡などを根拠に失明したのは来日数年以降と考えていたが、最晩年に目が悪くなったことを平安時代の史料でも確認したという。

境内ではナンテンの花がきれいに咲いている、梅雨の時期に咲くナンテンの花、多くは雨に打たれて散ってしまう。

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アジサイの頃初夏咲きコスモスが見頃です


コスモス寺として有名な般若寺、アジサイが見頃を迎えるころは初夏咲きコスモス約3万本が咲きます。

石仏を背景にコスモスを撮るのがここの定番。

美しい薬師如来像とコスモスの組み合わせが定番だが、この時期やはりアジサイかな。

縦構図もいい。

やはり薬師如来にはコスモスが似合う。

コスモス一輪と。

コスモスに埋もれる薬師如来。

やはりこの辺りに落ち着きますかな、少しアジサイも入れて。

真上からのアジサイ、やはり今一かな。

お地蔵さんの前掛を借景に紅い背景。

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