北野天満宮界隈


旧称は北野神社。二十二社(下八社)の一社。
福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。

末社・伴氏社(ともうじしゃ)

菅原道真の母君が大伴氏の出身であることから、こうよばれています。

伴氏という家柄は由緒正しき家計であり、遡ると国家形成の時代から政治に深く関与している。

大伴氏といい、飛鳥時代から政権の中枢に関わっていて、万葉集の編者である大伴家持もその家系につながる人物である。

かつては石造りの五輪塔が置かれていましたが、明治維新の神仏分離政策により東向観音寺に移されました。

東向観音寺の本堂の左手「行者堂」の奥に、巨大な石造の五輪塔がある。
これは、北野天満宮参道の伴氏社にあったものを、明治の時代に、ここに移したもので忌明塔(いみあけとう)と呼ばれ、菅原道真の生母である、大伴氏を祀る石塔である。

道真公の母は伴氏の娘という以外、詳しいことは分からない。

絵馬堂

絵の若者は「阿新」、「くまわか」といいます。
南北朝時代の人で、公家・日野資朝の子です。
 
父の資朝は後醍醐天皇に取り立てられましたが、天皇の討幕計画の露見により、自らも佐渡へ流されました(いわゆる正中の変)。

子の阿新は、父に会うため佐渡に向かいますが、守護・本間入道は面会を許さず、逆に資朝を斬ってしまいます。

父の敵討ちを誓った阿新は、本間の屋敷に潜入しますが、敵は不在で果たせず、代わりに父を斬った入道の嫡子・本間三郎を討ちます。
 
しかし、阿新は追っ手に迫られ危機一髪。かろうじて逃れ、湊へ向かう途中、年老いた山伏と出会います。

ちょうど一艘の船が湊を出ようとしており、山伏は法力で逆風を起こして船を湊へ引き戻します。阿新は、無事に乗船して越後に脱出するのでした。

これが「太平記」などに見える阿新の物語です。彼は、のちに日野邦光(国光)と名乗り、父と同じく後醍醐天皇に仕えたそうです。
 
絵に描かれた場面は、佐渡を脱出する阿新と山伏(大膳坊ともいう)を画いたもの。
すでに出帆した船を法力で引き戻す山伏を力強く描いています。

織部形石燈籠

この形は織部形といわれ下部分(竿部分)にマリア像らしきものが彫られているためマリア灯籠、キリシタン灯籠とも呼ばれています。

飛梅伝説の現実的経緯としては、一説に、道真に仕えて大宰府にも同行した味酒保行が株分けの苗木を植えたものとも、道真を慕った伊勢国度会郡(現・三重県度会郡)の白太夫という人物が大宰府を訪ねる際、旧邸から密かに持ち出した苗木を献じたものともいわれている。

人形浄瑠璃、菅原伝授手習鑑の主題ともなっている伝承。

松向軒

豊臣秀吉が北野天満宮で大茶会を催した際に、細川三斎が作った茶室を復元したもの。

影向(ようごう)の松のそばにあったので、「松向軒」と名付けられたと言われています。

大徳寺の塔頭・高桐院にも同じ名前の「松向軒」がありますが、こちらは、1628年(寛永5年)に三斎が作った茶室を移築したもの。

高桐院は細川家縁のお寺ですので、三斎(忠興)と妻ガラシャのお墓がある場所です。

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競い合うように咲き誇る梅の花 北野天満宮


御土居は紅葉で有名だが梅園もまた見事。

すでに京都を制圧していた豊臣秀吉は天正15年(1587)聚楽第を京都に建てた。 

戦乱で荒れ京都果てた京都の都市改造を行った。 

1590年 北条氏を打ち破り天下統一を果たし、天正19年(1591年)1月 全長22.5 キロメートルの御土居の建設を始め、わずか3ヶ月で3月に完成した。

御土居とは南北 8.5キロメートル、東西 3.5キロメートル、全長 22.5キロメートルの土塁で外側を掘で囲んでいた。 

土塁の上には竹が植えられた。 

外部からの侵略に京都を守るため、また堤防の決壊、鴨川の氾濫による洪水から京都の町を守るため建てられたといわれている。

梅園では1本の樹に紅梅と白梅が乱れて咲く「思いのまま」など、1,500本、50品種の梅が植えられているので、楽しめる期間が長いのです。

2万坪の境内一円に、さまざまな種類の梅が植えられています。
その数は50種、約1,500本。

梅苑には白梅、紅梅、一重、八重と、とりどりに咲く梅の間を縫うように散策路が延びています。

紅梅殿や本殿などの周辺の梅も素晴らしいですが、こちらの梅苑の様子はさらに圧巻。

『東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな』
菅原道真公が太宰府に左遷されるとき、庭に咲く梅の木に別れを告げて詠った歌だそうです。

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春告草咲く 長居植物園


別名が、春告草とも呼ばれていて春を告げる花として昔から親しまれている「ウメ(梅)」の花。

寒中に花を探し求める人々。

寒梅こそ、感に堪えない。
季冬の風にそよぐ一輪に、春の風を予感する。

冬枯れの景観に落とされた一点の薄紅(ウスベニ)に、爛漫の仄かな兆しをとらえる。

洒落めくが、観梅の妙だ。

芭蕉が詠めば、こうなる。

    梅が香に 
     のつと日の出る 
      山路哉

「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」菅原道真が大宰府に左遷される時、道真の愛した庭の梅の花に別れを惜しんで詠んだ歌。後に庭の梅木が道真を追って大宰府に飛んできた、という「飛梅伝説」がある。

「桃栗三年、柿八年、柚
(ゆず)の馬鹿野郎十八年、梅はすいすい十六年」種を植えてから実を収穫できるまでの期間を指す俚謡。本来は「桃栗三年柿八年」で一つの諺。「物事は簡単にうまくいくものではなく、一人前になるには地道な努力と忍耐が必要だ」という教訓である。

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島津家別邸「仙巌園」


鶴嶺神社(つるがねじんじゃ)

幕末の頃から廃仏毀釈運動の煽りを受けて薩摩藩領内の寺院を廃止する機運があったが、明治2年3月24日、島津忠義の正室である暐(てる)姫が死去した際、葬儀を神式で行うことが決まったことをきっかけとして薩摩藩領内の寺院の排斥が一気に進行、かつて島津氏歴代当主の菩提を弔っていた福昌寺も廃絶の憂き目にあった。

その代わりとして同年11月に忠義が鹿児島郡坂本村山下鶴峯(現鹿児島市照国町)に祖先を祀る神社を創建しこれを竜尾神社と号したのに創まる。

仙巌園(せんがんえん)は鹿児島県鹿児島市吉野町字磯にある薩摩藩主島津氏の別邸跡とその庭園。
別名磯庭園(いそていえん)。敷地面積は約5ha。

1658年(万治元年)に第19代当主であった島津光久によって造園され、その後も歴代当主による改築が重ねられてきた。

借景技法を用い、桜島を築山に、鹿児島湾を池に見立てた素晴らしい景色と広大な庭園が特徴で、1958年(昭和33年)に国の名勝に指定された。

錫門

赤い色が印象的なこちらは錫門。
江戸時代は藩主とそのお世継ぎだけが通ることを許された門です。

青い空、緑の木々を背景に、赤い色がとてもあざやかです。

仙巌園から見た桜島

桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な景観を楽しむことができます。

庭園から磯御殿の方向を望む。

幕末には第28代当主島津斉彬がこの敷地の一部を使ってヨーロッパ式製鉄所やガラス工場を建設するなどの近代化事業(集成館事業)を起こした。

1857年(安政4年)には、園内の石灯籠にガス管をつないで点火させ灯火として用いたことから、日本のガス灯発祥におけるルーツの一つとして挙げられる場所にもなっている。

園内は梅が今を盛りと咲き誇っています。

磯御殿
島津家の別邸として利用された磯御殿は、見事な書院造り。

明治21年からは焼失した鹿児島城に代わり、島津忠義公爵一家の住まいとなっていました。
昭和32年に島津家に返還され、現在は島津興業が管理公開しています。

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かおり風景100選 枚岡梅林


枚岡梅林はかおり風景100選の一つとされるが、ウメ輪紋ウイルスに感染した梅の木が多数確認されたことから、平成28年度中にすべての梅の木が伐採さた。

一の鳥居は神社からは線路の向こう側となる枚岡駅の西側にある。

駅から少し登ったところに二の鳥居がある。
二の鳥居脇の社名標は明治40年(1907年)に日露戦争戦勝を記念したもので、三条実美の書物から字を拾った。

とっても珍しい神事があるのが、この『揚巻結び(あげまきむすび)』の鳥居。

12月25日に新しい注連縄をかける時、鳥居の下でみんなで大声で笑うんです!
なんでも笑い声で、天岩戸に隠れてしまったアマテラスを誘い出す神事なんだとか。

鳥居から坂を上り、46段ほどの階段を登ると拝殿に着く。
嘉永6年(1853年)に駅前に建てられた社名標には「元春日平岡大社」とあり「平岡」の表記や大社号が使われていたとわかる。

史実としての創建時期はあきらかでないが、社伝によれば、初代神武天皇即位前3年、神武天皇の侍臣で中臣氏の祖の天種子命(あめのたねこのみこと)が、天皇の命で神津岳の頂に祖神の天児屋根神を祀ったのが創建とされる。

「平岡(枚岡)」の社名は神津岳の頂が平らだったのによる。
中臣氏の支流の平岡連(ひらおかのむらじ)の氏神とされた。

白雉2年(650年)、平岡連によって山頂から中腹の現在地に移された。
山頂には現在も奥宮がある。

梅の名所もウメ輪紋ウイルスには勝てなかった、本殿脇にわずか一本紅梅が咲いていました。

枚岡神社の「宮水」。

むかし、「宝基の森」の「白水井」と呼ばれる井戸には、白い湧水がたまっていたそうで、「お乳のでにくい母親が飲むとお乳がでやすくなる」「見えにくくなった目が見えるようになる」、と言い伝えられてきて、実際に昔、宮水がそそぎこんでる池のそばで、「悪い目が良くなりますように」と願掛けしていた年寄りが、池の鯉が跳ねたしずくが目にはいるや、「その日から目が見えるようになりました」と感謝して、神社に鯉を奉納したそうです。

枚岡神社の神域は、「枚岡山」なる森林です。
神津嶽からの二尾根すべて境内であり、枚岡神社の「神奈備」でありました。

この神奈備から湧き出る水は、ふるくより枯れることなく豊富で綺麗な湧泉となり、出雲井・豊浦を流れている川の水源となり枚岡の村々を潤おしてきました。

そしてこの湧水は、雨が激しく降ると「白く」濁る時がありました。

それは、雨により地中に多く含まれた「石灰質」が水の中に溶けて流れてきたためです。

その水で沸したお湯は無色透明で、霊験あらたかな「宮水」なので、近在の銭湯では「霊泉」として珍重していたとも伝え聞きます。

枚岡神社境内にある梅林は、約2ヘクタールの広さに「芳流閣(ぼうりゅうかく)」や「豊後(ぶんご)」など約30品種約320本の梅が植えられている。

このほど、農林水産省と府の調査でウメ輪紋ウイルスに感染した梅の木が多数確認されたことから、平成28年度中にすべての梅の木が伐採された。
伐採後は3年ほどの経過期間をおいて、梅林再整備の検討が行われる予定。

今回確認されたウイルスは、人や動物には感染せず、また、感染した果実を食べても健康への影響はまったくないという。
梅の名所もしばらくお預けです。

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間もなく一番きれいな時期を迎えます 大阪城梅園


間もなく暦の上では雨水、昔から農耕の準備を始める目安とされてきた。

大阪城梅園の花の期間は長く12月下旬から3月中旬まで。

梅園が一番きれいな時期は2月下旬~3月上旬とされる。

梅園は画像の右側、雁木坂を下ったところにあります。

梅林は「市正曲輪」という場所にあります。
豊臣時代に秀頼の後見人であった片桐市正(いちのかみ)且元の屋敷のあった場所。

江戸時代には城内警備に当たる大番職を助勢する加番職のための三つの屋敷(加番小屋)が南から順に立ち並んでいた場所でした。

しかし戊申戦争の折りに全て焼失しており残っていません。

梅は、大阪万博後に北野高校同窓会から22品種880本を寄贈されたことに始まります。
それも現在では100品種1270本を超える梅の数となり、様々な種類の梅が楽しめるスポットとなっています。

一重野梅(ヒトエヤバイ)

金獅子(キンジシ)

金獅子の名はその枝振りが唐獅子の頭髪に似ているところから付けられ たようです。

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小雨の梅園





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遠の朝廷と防人を訪ねて④

太宰府天満宮・北野天満宮・防府天満宮を合わせて「三天神」と呼ぶ。
三天神には諸説あり、太宰府と北野天満宮までは共通するものの、あとの一つを大阪天満宮等とする説も存在する。

延喜3年(903)2月25日、菅公は謫居(たっきょ)の地、南館(榎寺)において清らかな御生涯を終えられました。

その後、御遺骸を牛車に乗せて進んだところ、間もなくその牛が伏して動かなくなりました。
これは、菅公の御心によるものであろうとその聖地に御遺骸を葬りました。

飛梅が一輪寒風にさらされています。

大宰府へ赴くため都を発つ道真が庭先に立っている梅に対して「東風ふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と歌った。

太宰府天満宮拝殿・右手前にその飛梅が立っている。

東風吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ

この短歌は、菅原道真(すがわらみちざね・菅公)がうたった有名なもの。

彼は、もともと低い身分でしたが、学問に優れていたため、右大臣にまで出世した。
当時の左大臣の藤原時平からねたまれ、あらぬ罪で、大宰府に左遷させられた。

その時に、梅が大好きだった菅公が京都の紅梅殿の梅に向けて詠んだ歌。

現在も大宰府の天満宮には、梅があり、飛梅伝説として残っている。

大宰府天満宮には、梅の木の下で「ひょうたん酒」を飲めば、難を免れるという言い伝えがある。

天満宮で、厄除け祈願を受けると特別なお札・お守り、お神酒と厄晴れひょうたんを授かる。

この授かった厄晴れひょうたんの中に、願い事を書いた用紙を入れ自宅の神棚などにお祀りし、災難が降りかからないように祈願する。
そして、厄が晴れると、お礼参りをして、ひょうたんを本殿裏のひょうたん掛所へ納めれば良い。

大楠、樹齢 1000~1500年、樹高 :39m、幹回り 12m、根回り 20mと成っていて、国指定天然記念物。

妹(いも)が見し楝(あふち)の花は散りぬべしわが泣く涙(なみだ)いまだ干(ひ)なくに   巻五(七九八)

妻が見たセンダンの花はもうすぐ散ろうとしているよ。私の泣く涙はいまだ乾かないというのに

この歌も大伴旅人(おほとものたびと)の妻の死(巻五:七九三も参照)に対して山上憶良が贈った追悼歌で、巻五(七九四)の長歌に付けられた反歌のうちのひとつ。
「楝(あふち)」は植物のセンダンのこと。

そんな「妻が生前に見たセンダンの花はもうすぐ散ろうとしているよ。
私の泣く涙はいまだ乾かないというのに」と、月日は経っても妻を失った涙の乾かない哀しさを詠った挽歌となっています。

亡き妻が好んで見た花が散ってしまうことで妻との思い出のよすががひとつ消えてしまうような、そんな寂しさも感じさせる一首です。

よろづよに としはきふとも うめのはな たゆることなく さきわたるべし

いつの世までも梅(うめ)の花は絶えることなく咲き続けるでしょう。

天平2年1月13日、大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で催された宴会のときに詠まれた歌の一つ。

わが苑に 梅の花散る 久方の
     天より雪の 流れくるかも
 (大伴旅人 万葉集巻5-822)

わが家の庭に梅の花が散る。はるか遠い天より雪が流れて来るよ。

参道の商店で見かけた焼き物、梅色が見事だった。

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大宰府天満宮へのアクセス、行き方歩き方

大宰府天満宮公式サイト

福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号

西鉄太宰府線太宰府駅から徒歩5分

春を窺う

正月が明けたばかりというのに長居植物園では春を窺がう花々が見られる。

ヤツデの花は虫媒花ですが、昆虫の少ない真冬に開花するので、受粉のため多くの昆虫を引き寄せる必要があるので、特別甘い蜜を蓄えています。

ネコヤナギの芽はまだ固いベールの中。

気の早い梅がちらほらと。

スイセンは多年草で、冬から春にかけて白や黄の花を咲かせるものが多い。

葉の間からつぼみをつけた花茎が伸び、伸びきるとつぼみが横向きになり、成熟するとつぼみを覆っていた包を破って花が開く。

典型的なスイセンの花の場合、雌蕊(しずい)は1本、雄蕊(ゆうずい)は6本。

6枚に分かれた花びらと、中心に筒状の花びらを持つが、6枚に分かれている花びらのうち、外側3枚は萼(がく)であり、内側3枚のみが花弁である。

二つをあわせて花被片(かひへん)と呼ぶ。

一方、中心にある筒状の部分は副花冠(ふくかかん)という。
花被片・副花冠の形状と花の着き方により、品種を区分する。

ユキヤナギも本格的な開花にはまだ早い。

つばきは今が盛り、園内に咲き誇る。

寒咲菜花が冬の園内を彩る。

ここだけが春が来たよう。

ロードレイアヘンリーの花芽。

マンサク科ロードレイア属の常緑高木で、学名は Rhodoleia henryi。

ミツマタが縁起の良い吉兆の草とされていたため「幸草(サキクサ)」と呼ばれたのだとも言われる。
最も古い用例である万葉歌人・柿本人麻呂の和歌(ヤマトうた)、

春されば まず三枝(さきくさ)の 幸(さき)くあれば 後にも逢む な恋ひそ吾妹(『万葉集』10巻-1895)

(春になればまず先に咲く「サキ」クサのように「幸〔さき〕」く〔つつが無く〕あることが出来たならば、のちにまた会いましょう。
恋しがらないでください、わが愛しい人よ)

マユミの「マ」は真、「ユミ」は弓。

枝はしなやかで、弓を作るので、 有用な木の意味だそうです。

初夏に5〜6月に、緑白色の小さな花。

10〜11月頃、殻がピンク色に染まり、 12月になると殻がはじけて、赤い種子が顔をのぞかせます。

まるでドライフラワーのようになって、 いまだに鈴なりにくっついています。

クリスマスローズ

強健で育てやすいものが多いのも特徴。
鉢植えにも庭植えにも向き、ほかの多くの草花に先駆けて花を咲かせ、冬枯れの庭を彩ります。

うつむき加減の花を冬のまだ寒いころから咲かせる。
よく目立つ部分は苞なので花期が長いのも特徴のひとつです。

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長居植物園へのアクセス、行き方歩き方

住所:大阪市東住吉区長居公園1-23
TEL:06-6696-7117 FAX:06-6696-7405

地下鉄御堂筋線「長居駅」より徒歩10分

春近し 万博公園 日本庭園

村上水軍城を訪ねる旅の掲載中ですが、季節の話題をひとつ。

民博を訪れたついでに日本庭園に寄ってみた、あちこちに春の息吹が感じられる。

梅園では多くの家族連れが花見を楽しんでいたが、梅は盛りを過ぎている。

レンギョウを見かけた。

サンシュユにユキヤナギ、春だなあ。

温めた牛乳にサンシュユの枝を入れ、保温して一晩置くとヨーグルトができる。

ブルガリアにはヨーグルトの木と呼ばれる木があり、サンシュユはヨーグルトの木の親戚にあたるため、実際に同じようにヨーグルトを作れる。

小川のほとりで土筆を見つけた。

ローバイもきれいだ。

あまり目立たないのだがアセビをあちこちで見かける。

磯の上に生ふるあしびを手折らめど見すべき君がありといはなくに 大伯皇女 巻二166

ドウダンツツジが新芽を膨らませている、辺りが何か華やいだ雰囲気。

竹林も春の装い。

盛りは過ぎたがつばきも美しい。

春ともなると水辺が恋しくなる、スローシャツターでアワの渦巻きを狙う。

春の小川、歌を口ずさみたくなる。

瀧もスローシャツターで撮ると穏やかだ。

1/8000秒の超高速シャッターで水の躍動感を。

まだまだ枯れ木状態が多いがあちこちで春の息吹を感じた。

ズームアップするとカラスの群れが・・・一斉に飛び立つとヒチコックの世界だね。

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