大阪府の繁華街にある乗換駅としては、キタ(大阪駅・梅田駅周辺)やミナミ(難波駅周辺)および天王寺(天王寺駅・大阪阿部野橋駅周辺)に立地する駅ほどの規模ではないが、一日あたり約59万人(2006年)の乗降客の利用があり、大阪市北東部の玄関口となっている。

駅名の由来は、大川との合流地点近くの大阪城北側の寝屋川に架かる「京橋」であるが、この橋は当駅よりも天満橋駅の近くに存在する。

裏町の風景

当駅がある地に鉄道が開通したのは、1895年8月に浪速鉄道が現在の片町線となる片町駅 – 四条畷駅間を開業してからであるが、開業当時は駅が設置されていなかった。

当駅は、同年10月に大阪鉄道 (初代) が現在の大阪環状線となる天王寺駅 – 大阪駅(当時は梅田駅)間の鉄道を開業させた際に浪速鉄道との交差地点に設けられたのが始まりである。

両路線とも、関西鉄道を経て国有化された後、1912年、片町線片町駅に京橋口乗降場が設けられ、城東線(現在の大阪環状線)の京橋駅と連絡するようになる。これが翌1913年に当駅の片町線乗り場となった。


京橋北口改札外(大阪市都島区東野田町4)の工事仮囲いに、巨大な壁アートが完成した。

壁アートは、関西のラジオ局「FM802」が主催するアーティスト発掘プロジェクト「digmeout」とJR西日本がコラボレーションし、「駅と駅、駅と町をつなぐ」をコンセプトに大阪で活躍するアーティストによって描かれた。

京橋駅のリニューアル工事で設けられた京橋駅北口前の仮囲いに、7月10日から5日かけて制作。

壁にはアクセスの良い京橋駅の象徴として、大阪の象徴となる絵がちりばめられ、「行ってみたい」「乗ってみたい」大阪環状線をイメージ。完成後は、京橋在住の人たちにより、「CONNECT KYOBASHI」の文字が刻まれた。



大阪の京橋と言えば、飲兵衛で知らない人はいない立ち飲み屋のメッカ。

京橋の駅前に広がる道は、立ち飲みストリートとも言われ、京橋駅から徒歩1~2分の場所にたくさんの居酒屋が揃っています。

居酒屋とよ

屋台とも思える立ち飲み屋「とよ」。

屋外で立ち飲みするお店ですが、京橋では超人気の立ち飲み屋と呼ばれる、行列必須の有名店です。

夕方前には営業が始まるので、早く飲みたい飲兵衛には最高!何より驚くのは、新鮮で豪快な海鮮料理。
マグロの刺身やいくらの寿司など凄いボリューム!京橋駅北口より徒歩1分。

居酒屋 まるしん(丸進)

とても気さくな大将の人柄が魅力的なお店「まるしん」。
立ち飲みストリートの中でもレジェンド的存在で、超人気店!お店の外観はディープですが、入ればアットホームな雰囲気♪女性客でも入りやすいお店です。

京橋駅北口から徒歩2分。

昼間から大勢の酔客が、いい御身分です。

リバーカントリーガーデン京橋

マンションのエントランスは古いレンガ造りにして古代ローマのコロッセオや水道橋が再現されており、異国情緒が漂うどこか牧歌的で自然と古代ローマ時代の廃墟を融合させた“独自の絵画的な空間”が魅力。

地上36階から眺める景色は格別で、目の前で行われる天神祭りの花火大会を独り占め!

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新京橋商店街 ビギン京橋


「ビギン京橋」の愛称で親しまれる新京橋商店街。
そのシンボルでありランドマークは、国道1号線沿いの入口に設置された「真実の口」。

ハロウィンを控え飾りつけをする店が増えています。

シャッターのデザインからしておいしそうなホルモン屋、昭和大衆ホルモン 京橋北店。
まだ開店には早かったみたい。

商店街はJR環状線、京阪本線、地下鉄長堀鶴見緑地線が乗り入れる京橋駅を基点とした大阪の副都心に位置するため、通勤・通学の通行量も多く、1 日に約 7,000 人の来街者で賑わう。おもしろさと便利さいっぱいの商店街。

ビギンホールは京橋の便利性を高める「多目的スペース」。

AV武装されたホールは各種機能を備えて、活用方法は無限大。

おいしそうなフグが泳ぐ店。

延長は約170m、通路幅は約5.4m、商店数は66店舗。そのうち飲食店が全体の3割を占め庶民の商店街として人情味あふれるサービスの商店街として発展を遂げてきた。

地魚屋台 とっつあん。

魚の干物がぶらさがっている、本物なんですね。

シャッター通りの異名を持つ商店街の中では頑張っている商店街だ。

空揚げやさん、何か脅迫めいた看板。

かつてこの地は、江戸時代には大阪から京都へ通じる「京街道」に面して店が軒を並べており、大名行列や商人、旅人でにぎわっていた。

大量のスルメが干されている。

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敬正寺


「敬正寺(きょうしょうじ)」(瓜破東5-5)は、浄土真宗大谷派のお寺。

「天神社」ゆかりの「道昭(どうしょう)」が、大化年間に開基した「永楽寺」遺跡とされている。

永楽寺の本尊五智如来(五輪仏)のうち2体の石像が安置されている。

右側の大きい方が大日如来で、左側が阿弥陀如来である。

豊かな頬をして落ち着いた像容から、制作年代は平安後期までさかのぼるものと推定されている。

大日如来には生駒山の花崗岩、阿弥陀如来は二上山の安山岩が用いられており、府の有形文化財に指定されている。

これら石仏は江戸末期か明治初期 に、近くの下の池の水を抜いた際に樋門の下から現れた五体の うちの二体で、残る三体はどうしても引き上げられず、今では埋 め立てられた下の池の土中にあると言われています。

大化年間(645~650)に道昭が創建した永楽寺は成本から瓜 破霊園までを含む寺域を持ち、その永楽寺の塔頭のうち、唯一 残ったものが敬正寺であると伝えられています。

当寺にも「瓜破」の地名伝承があって、旅に疲れて帰って来た「道昭」に、採りたての瓜を割って差し上げたところ、体調が回復して元気になったことから、「道昭」がこの地にお寺を建立したとされています。

左手、阿弥陀坐像は上部を欠損、高さ約80cm、幅約70cm、膝上で弥陀定印を組む。

悟りを拓いた様な穏やかな顔様、柔らかな曲線で重量感の有る体躯。

磨耗が進んでいるものの表情豊かな鎌倉前期の石仏です。

片や右手に置かれた大日如来石仏。

総高約120cm、像高約1m、閣閃石黒雲母片麻岩という難しい名の自然石表面に、中肉彫りで刻み出されている。

頭上に宝冠、結跏趺坐し、膝上で法界定印を結ぶ胎蔵界大日如来ですが、石材の黒雲母が邪魔をするのか顔容は詳らかではない。

その像容から平安末期の像立と云われ、阿弥陀石仏と共に府の文化財に指定されている。

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瓜破天神社


祭神は、素戔嗚命、菅原道真、平維盛。

瓜破の歴史を記録し唯一現存する船戸録(天文元年、1736記)によれば、 孝徳天皇の大化年中(645~649)当地に居住された高僧、船氏道昭が、 5月晦日三密の教法観念の折、庵室に光る天神の尊像が現れたので、西瓜を割って霊前に供えた。

道昭は朝廷に上申したところ方八丁の宮地を賜わり、この霊像を祭祀して当所の氏神と崇め奉り、西の宮又は方八丁の宮と称したのが当社の起原であると記されている。

これが瓜破地名伝承のひとつで、他に「空海(弘法大師)」が高野山を往復する際に村人が瓜を割って勧めたので、瓜破という地名が生まれたという説もあり、また、敬正寺にも別の伝承が残っている。

日露戦役記念碑

裏に故人5名を含む38名の氏名が刻まれている。
1906(明治39)年7月 中河内郡瓜破村大字□□有志者 建立。
発起人として村長・助役の名が見える。

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中高野街道・瓜破台地


地下鉄喜連瓜破駅から中高野街道を下り、瓜破台地を散策する。

磯歯津路(しはつみち) から瓜破台地を歩く。
磯歯津路は住吉津から大和を結ぶ、古代の幹線道路で、長居公園通が磯歯津路に比定されています。

中高野街道は、北は平野郷を抜けて、守口で京街道に接続、南は三宅(松原市)を抜けて河内長野市で東西の高野街道と合流する高野山参詣の道。

旧喜連村の中と西の村境とされていたこの細い道が往時の姿をそのまま伝えている。

すぐ北の中小路との交差点にはこの街道の道標(天保四年 辻吉兵衛建立)が建っていたが、近年紛失したので、平成二十六年末、やや南側に地元有志により復元された。


昔の瓜破村の中心部には、今も立派な屋敷が残っていました。
とても雰囲気のいい旧瓜破村の中心部です。



小松神社 紀伊国に湯浅城を築いたことで知られる湯浅宗重の子・宗光が瓜破の地に住んでいた。

宗光 は過去に平重盛(平清盛の嫡男で、小松殿と称された)に危うい命を助けられたことがあり、重盛 が熊野で入水してこの世を去ったと知らされた宗光は、社殿を建てて、その霊を祀り、小松大明神 と名付けたとされます。

しかし、入水したとされるのは平重盛の子・平維盛であり、小松大明神が 重盛、維盛のどちらを指すのか明確ではありません。

小松神社はかつて大和川堤防沿いに広い社 域を持ち、東の宮と称されていましたが、鉄道の敷地となったために瓜破天神社に合祀されること となりました。

現在の社殿は地元の有志により昭和22年(1947)に再建されたものです。

廃線となった阪和貨物線

阪和貨物線は、かつて大阪府八尾市の関西本線八尾駅から大阪市住吉区の阪和線杉本町駅に至っていた貨物線の通称。

正式には関西本線の支線であり、「阪和連絡線」とも呼ばれた。
2004年に休止され、2009年に廃止された

宝永元年(1704)の大和川付け替え後、中高野街道は大和川によって分断され、瓜破渡しができました。

付け替え工事により村は南北に分断され、多くの田地を川の敷地に奪われるため、東瓜破・西瓜破両村は大和川 付け替えに反対しました。

瓜破遺跡

大和川右岸から瓜破霊園周辺にかけて瓜破遺跡が広がっている。

後期旧石器時代から江戸時代までの複合遺跡だ。

約7万年前のナウマンゾウの足跡や旧石器時代の石器工房跡、縄文早期頃の土器、弥生前期~後期の集落跡が見つかっている。

高野大橋の上流100~200m付近の河川敷から弥生土器などが見つかった。

それらの遺物の一部は瓜破下池にある瓜破会館や平野区民センター(コミュニティプラザ平野)で展示されている。

大阪市設瓜破霊園 市域拡張により大阪市の人口が増大した結 果、大阪市は墓地不足となり、昭和3年 (1928)の第二次都市計画事業として、中河 内郡・瓜破村(瓜破地域は1955年に大阪市 に編入されました)に60,200坪、豊能郡・野 田村(現豊中市)に52,400坪の墓地新設が 計画され、瓜破霊園は昭和15年(1940)5月 に竣工した。

霊園内の卍マークについて、 寺院建築跡が確認されているわけでありませんが、奈良時代の瓦や磚仏が出土したこと から何らかの寺院があった場所とされ、地名 から瓜破廃寺と呼ばれています。

合葬式墓地のモニュメントが聖地を思わせる。

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新世界市場で奇祭「セルフ祭」


久しぶりに新世界市場へ、なんか催しをやっている、セルフ祭りってなんや。

シャッター通りと化している状況はどこも同じ。

ここはしかし何か目立って浮き上がろうとする活力が感じられる。
前回はユニークなポスター市場をお伝えした。

ニークなポスター市場 新世界市場
新世界市場の商店街をあげて盛り上げようと、このポスター展が企画された模様。 商店 … 続きを読む →


表現欲、参加性、祝祭性が、セルフ祭の基盤とか。

この人仮装して市場をひたすら往復している。

手作りのお面屋さん。

ここにも仮装して歩く人がいる。

ここは何か演じる場所なのか・・・・・・


現状を脱却しようとする努力は大したものだ、各地のシャッター通りも見習うものがあるかも。

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法善寺横丁


法善寺は訪れるたびに違う姿を見せてくれる。

早朝の訪問でオダサク作品で有名な正弁丹吾亭もまだ夜中の夢。

町はまだひっそりとして水撒きなどする人の姿も見られる。

夜の法善寺横丁
法善寺界隈
道頓堀、南は難波新地と千日前、北は道頓堀川を挟んで島之内の宗右衛門町や久左衛門町 … 続きを読む →


法善寺の北側にある細い通り。

もとは境内だったことから法善寺裏、法善寺露地などと呼ばれていた。

昭和初期に小説『夫婦善哉』や『法善寺横丁』に登場して有名になり、横丁の名が定着した。

東西両端にある門にそれぞれ掲げられた「法善寺横丁」の文字は、西は藤山寛美、東は3代目桂春団治によるもの。

長さ80m、幅3mの2本の路地が東西に伸びる横丁内には、老舗の割烹やバー、お好み焼き、串カツ店などがずらり、風情ある石畳に行き交う足音がコツコツと鳴り響く。

もともとこの地は浄土宗天龍山法善寺の境内で、参拝客相手の露店がいつしか横丁に発展したもの。

太平洋戦争の空襲で寺も横丁も焼失したが、戦後、盛り場として復活。

織田作之助の小説「夫婦善哉」の舞台として知られ、歌謡曲「月の法善寺横丁」にも歌われた。
行き暮れてここが思案の善哉かな
大黒橋から道頓堀川を眺める。 太左衛門橋 橋の名は橋の東南角で歌舞伎の小屋を開い … 続きを読む →


戦火をくぐり抜けた不動尊は、願いを込める人たちがかけた水で、全身に緑の苔がびっしり。

旧中座の2回にわたる火災を乗り越え、復活を遂げた法善寺横丁は、かつての風情を残しつつ、浪速の人情も守りつつ、今も活気溢れる街だ。

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道頓堀の隠れスポット 浮世小路


道頓堀の裏には、その昔、多くの小路が縦横に走っていたという。
その名残を残すといわれる「浮世小路」が、法善寺横丁と道頓堀の間に細々と走っている。

浮世小路はとても狭く入口も分かりにくいため、道頓堀に面しているのに人通りも少なく静かです。

うどんの「今井」の前身「今井楽器店」があり、昭和初期・大大阪時代のモガ、モボが粋を気取ったカフェの店内風景も見え、吉本興業の昔の劇場「花月亭」の前を通ると出囃子が聞こえます。

繁華街から「浮世小路」に入るとそこは大正浪漫!

道幅は1.2mとのこと。
大人がすれ違うのがやっとな感じ。

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道頓堀


道頓堀川は、東横堀川の南端から西流して木津川に合流する全長約2.7kmの河川で、西横堀川(埋立。現・阪神高速1号環状線北行き)より下流は西道頓堀川とも呼ばれる。

川幅は西道頓堀川と呼ばれる下流側は約50m、上流側は約30m。

レストランの庭に佇む少しこわもての人形。

道頓堀ホテル、お馴染みのアモイ像。

廃墟の猫。

一部で「とんぼり」と略称される事もあるが定着しておらず、地元では略さずに「どうとんぼり」と表現している。

松竹座前から東を望む。

逆に西の景観。

かに道楽本店。

一般的に日本橋 – 大黒橋間において、道頓堀川南岸の道頓堀通沿いに広がる繁華街を指す。

なかでも戎橋以東は道頓堀五座が立地した芝居町にあたる。

道頓堀通の南側に芝居小屋、北側に芝居茶屋が並ぶ構造だったため、現在も通の南側に娯楽施設、北側に飲食店が多い。

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湊町リバープレイス


早朝の散策、涼しくて気持ちいい。

OCATとは地下通路でつながる。


道頓堀川を航行する遊覧船が使用する湊町船着場に接しているほか、JR難波駅や大阪シティエアターミナル (OCAT) およびバスターミナルからも至近距離にある。

八角形の宇宙船のような形が特徴。

大阪市の都市構造再編プロジェクト「ルネッサなんば」のウォーターフロントゾーンとして、旧国鉄湊町駅(現 JR難波駅)の貨物ヤード跡地に開発され、2002年に開業した。

プラザ1(地下2階)、プラザ2(1階)、プラザ3(2階)の屋外イベントゾーン3箇所と、エフエム大阪の社屋(プラザ3にオープンスタジオを設置している)、3階から6階を占めるライブハウス「なんばHatch」およびオフィスなどで構成されており、音楽・パフォーマンスイベントや展示会に幅広く使用されている。

浮庭橋を渡ると南堀江方面にもアクセスが可能である。

川の浮遊ごみを取り除く、おかげでかわの水もきれいになった。


向こうに大黒橋が見える。

また、建物の一部を阪神高速道路の湊町出入口と共有しているほか、2階は湊町PAとしても利用されている。なお、湊町リバープレイスの他の施設と同PAは接続していない。

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