郡上八幡 清流と名水とおどりの城下町


郡上八幡城の天守閣は築60年をこえる日本最古の木造再建城であり、戦後の築城ブームで再建された多くのコンクリート製の城とは一線を画した美しさは、作家・司馬遼太郎をして日本で最も美しい山城と言わしめた。

白亜の天守閣、郡上八幡城!見晴台からの眺望も抜群。
山麓には山内一豊と妻千代の像がある。

宗祇が郡上の当時の領主であり、一流の歌人でもあった東常縁(とうつねより)より歌の教えを受けて京へ戻るとき、二人がこの泉で歌を詠み交わしたのだとか。

もみじ葉の 流るるたつた白雲の花のみよし野思ひ忘るな 」(常縁)
三年ごし 心をつくす思ひ川 春立つ沢に湧き出づるかな 」(宗祇)
惜しむ別れを清泉に託した和歌が残されている。

この石畳の先に宗祇水がある。

宗祇水は、小駄良(こだら)川のほとりにある湧き水。
別名、白雲水ともよばれ、全国名水百選にも数えられている。
かつて連歌の宗匠飯尾宗祗(いいおそうぎ)が、この泉のほとりに草庵を建てたのが名の由来。
現在も豊富に湧き、周辺住民の生活水となっている。
環境省が選定した 「日本名水百選」 の第1号に指定されたことで有名になった湧水。

上八幡の町景観の特徴である寺と水路と袖壁の家々。
郡上八幡は「水の町」でもある。
町中に張り巡らされた防火用に整備された用水路だけではなく、町のあちこちで清水が湧きでている。

郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる」 
の歌詞で知られる郡上おどりは400年にわたって城下町郡上八幡で歌い踊り続けられてきたもの。

江戸時代に城主が士農工商の融和を図るために、藩内の村々で踊られていた盆踊りを城下に集め、「盆の4日間は身分の隔てなく無礼講で踊るがよい。」と奨励したため年ごとに盛んになったもの。

郡上おどりコーナーでは、1日4回の郡上おどり実演を行なっている。

郡上八幡博覧館
楽しい展示と工夫がいっぱい!!

山内一豊の妻千代は1556年(弘治2年)初代郡上八幡城主遠藤盛数の長女として生まれた。
千代が6歳の時に父盛数は病死、その後母の再婚、義父の敗北そして流浪、波乱の人生がはじまる。
やがて千代は尾張の山内一豊の許へ嫁ぐ。
千代の出生地には諸説あり、この八幡町と米原市近江町の二つが有力である。

八幡城第2代遠藤慶隆が鎌倉武士の末裔であり古今伝授の家柄を誇っていた東氏の子孫が飛騨高山照蓮寺にいることを知り、1601(慶長6)年に招いて建立。
遠藤慶隆の妹が千代(山内和豊の妻)であるという文献が残っている。

渓流釣りに於いて釣った魚の保存というのはなかなか由々しき問題である。
郡上職漁師の考え出した「郡上びく」。
大変合理的にできている。

郡上八幡に春をよぶひなまつり。
城下町の200軒の旧家、商家、お宿などが伝来のおひなさまを飾って遠来のみなさまをお迎えする。

食品サンプルの産みの親
郡上八幡に生まれ育った岩崎瀧三は1932年(昭和7年)大阪にて食品サンプルの事業化に成功した。

故郷八幡をこよなく愛した瀧三氏は、1955年(昭和30年)に岐阜工場を設立、1963年(昭和38年)岩崎模型製造(株)に社名を変更し、地域社会教育・福祉事業に貢献した。
現在瀧三氏の技術を引き継ぎ、サンプルの故郷として多くの職人達がサンプル業に携わっている。
食品サンプルの第一人者である。

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郡上八幡へのアクセス、行き方歩き方

JR名古屋駅から東海道本線にのり岐阜で高山本線にのりかえてJR美濃太田へ。または名古屋から直接高山本線に入る特急もあります。
美濃太田は岐阜を出てから2つめの特急停車駅です。

またJR名古屋駅から中央線で多治見に行き太多線にのりかえて美濃太田に行く方法もあります。
多治見へは名古屋から約30分。さらに美濃太田までは20分ですから、接続さえうまくいけば悪くない方法です。

名鉄名古屋駅からですと犬山線の名鉄鵜沼駅がJR高山線の鵜沼駅に連絡しています。
名鉄名古屋と名鉄鵜沼間は約40分。
鵜沼から美濃太田までは2駅、約10分です。

以上名古屋から美濃太田までは3つの選択肢があり所要時間に大差はありません。
のりかえの接続がカギとなります。