武士の居館跡鑁阿寺(ばんなじ)に残る足利城址

鑁阿寺(ばんなじ)はもともとは足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている。
「足利氏宅跡(鑁阿寺)」として国の史跡に指定されている。

鑁阿寺の参道には江戸時代の蔵が残っていて、公開されているものもあります。
正面に山門が見えます。

参道に建つ足利尊氏の像、足利氏は尊氏の代に隆盛を迎え室町幕府を開府し日本の中世の覇者となった。

四方を美しい堀に囲まれた「鑁阿寺」。
足利市内の鑁阿寺は清和源氏足利氏の邸宅跡として有名。
平安時代末期に足利義兼が館を構えたとされるが、義兼の祖父義国が築き義康、義兼の3代が起居したという説もある。

いずれにせよ平安時代末期に築かれ今日までその遺構を残す貴重な史跡である。
義兼は義兄弟でもある源頼朝の挙兵に応じて平氏追討戦や奥州征伐に従軍し軍功を挙げた。

源氏の中でも宗家に次ぐ家柄でもあり鎌倉幕府の中においても重く用いられたが、建久7年(1196)に妻を亡くした義兼は武士を捨てて高野山へ登った。
やがて鑁阿と号して故郷足利へ戻り館を足利氏の氏寺としたのが鑁阿寺の成り立ちである。

やがて足利氏は尊氏の代に隆盛を迎え室町幕府を開府し日本の中世の覇者となった。

山門は永禄7年(1564)に再建された楼門です。
ほぼ正方形の鑁阿寺境内の南門で、北には薬医門、東、西には四脚門があります。
屋根付きの橋は安政年間のものだそうです。

門と橋が近いので、楼門を正面から見られないのがちょっと残念。

楼門をくぐると、広々した境内の奥に本堂がありました。
屋根の上で金色に光っているのは五七の桐、菊の御紋、足利二つ引の紋。

豪華な組み合わせです。
最近まで屋根の改修が行われていたようですが、なぜか真ん中の部分だけは瓦が葺き替えられず古いままでした。

大御堂の隣にある中御堂(不動堂)

四方堀に囲まれた「鑁阿寺」境内図。

足利氏が時の権力者北条氏と近い関係であった様子がわかり、興味深い『徒然草』216段の碑。

多宝塔:寛永6年再建、徳川家発祥の地として徳川家が祖先の菩提供養のため寄進したものという。

鐘楼…
補修されてはいるものの900年前に建立された歴史の重みを感じます。
1196年に建立され、鎌倉時代の禅宗建築の代表的なものだ。

天然記念物の大イチョウ。
説明版によると幹回り9メートル、高さ30メートルで、古来より諸堂の避雷針の役目を果たしてきた・・・とありました。

神社やお寺にイチョウの木が多いのは、水分を多く含むイチョウが火災の延焼を防いできたといわれています。
樹齢550年の老木ですが、それでも本堂が建てられてから250年もあとに芽が出たことになります。
幹が途中で二つに分かれているので、ご多分に漏れず縁結びの御神木となっています。

心字池。

鑁阿寺東門は永享4年(1432)に公文所奉行の再建と伝えらています。
建築は四脚門、切妻、瓦葺きで正和年間(1312~16)に描かれた一山十二坊図でもその姿を確認出来ます。

鑁阿寺東門は鎌倉時代の武家門の形式を受け継ぐものとして栃木県指定重要文化財に指定されています。

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足利城址へのアクセス、行き方歩き方
栃木県足利市家富町2220
JR両毛線 足利駅 徒歩約10分
東武伊勢崎線 足利市駅 徒歩15分