近畿の20名城

滋賀県

3代将軍家光上洛の際の宿館 水口城(水口御茶屋)

関ヶ原の戦い後、徳川氏の直轄地となった水口は、東海道の宿場町に指定された。その後、3代将軍徳川家光が寛永11年(1634年)、京都への上洛の際の宿館として、道中の水口に築かせた。これが水口城(水口御茶屋)である。作事奉行は小堀政一(遠州)が...
滋賀県

悲運の関白 秀次の居城 近江八幡山城跡

豊臣秀次は18歳で入城したが、1590年(天正18年)に尾張国清洲城へ移封。代わって京極高次が2万8千石で入城したが、1595年(文禄4年)秀次事件で羽柴秀次は切腹、聚楽第と同時期に八幡山城が廃城となると京極高次は大津城へ移った。築城から1...
京都府

3度に渡って築城された伏見城

伏見城は3度に渡って築城され、最初の城は朝鮮出兵(文禄の役)開始後の1592年(文禄元年)8月に豊臣秀吉が隠居後の住まいとするため伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)に建設を始めた。このとき築かれたものを指月伏見城、後に近隣の木...
兵庫県

山峡の城下町 出石城

小出氏は九代、約100年間続きましたが後縦ぎがなく断絶し、元禄10年(1697)に武蔵国岩槻より松平忠徳(ただのり)が移封されました。宝永3年(1706)に松平氏は、信州上田の仙石政明(せんごくまさあきら)と国替えとなりました。仙石氏は七代...
東海

紀州徳川家の飛び地 田丸城

田丸城は南北朝時代に南朝方の拠点として北畠親房、北畠顕信によって築かれたといわれる平山城であり、三重県指定史跡である。本日も 手に持たずにさせる折りたたみ傘 肩ブレラが大活躍です。本丸虎口、石垣が段々になっているのがよく分かる。戦国時代、織...
東海

幕府直轄の宿場が置かれた亀山城は花しょうぶが真っ盛り

亀山は今回で三回目の訪問となるが、城下では花しょうぶまつりが行われていた。関連記事:東海道46番目の宿場町 亀山宿 散策  東海道を睥睨(へいげい)する 亀山城江戸時代初頭には丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴の間違いによって...
東海

織田信長が領した神戸(かんべ)城

神戸城は三重県鈴鹿市にある。神戸氏4代の神戸具盛が天文年間(1532年 - 1555年)に築城し、本拠地を澤城(神戸西城)から移した。滝川一益の侵攻に和睦し,養子にうけいれた織田信長の3男神戸信孝により、より強固に修築された。城主は度々代わ...
兵庫県

阿波(あわ)へ行く路 淡路 洲本城

江戸時代まで淡路島は阿波の国だったと言っても知らない人が多いかも知れない。庚午事変(別名稲田騒動)とは明治維新の際に阿波徳島藩の内部で起きた内輪もめで、徳島にとってみれば、江戸期を通して阿波徳島藩の領地であった淡路島がこの内輪もめのせいで結...
兵庫県

播磨の小京都 龍野城

龍野城は、標高210mの鶏籠山山頂の山城として築かれた時代と、現在の地、山麓を含めた平山城との二期に渡ります。龍野御坊・圓光寺山門の「龍頭」は見事。圓光寺に残る宮本武蔵修練之地の石碑。武蔵は18歳の時に龍野にあらわれ、円光寺で円明流を指導し...
東海

全国最強の軍団と奥の細道の終点 大垣城

織田氏、斎藤氏、織田氏と支配権が移った後、1583年(天正11年)に池田恒興が城主となり、1588年(天正16年)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)の配下の一柳直末によって若しくは 1596年(慶長元年)頃、伊藤祐盛が城主の時に改築が行われ、天守が築か...
近畿

多気御所(北畠神社)と詰の城 霧山城

伊勢国司から戦国大名となった北畠氏の本拠地であり、16,000騎を有する大将にふさわしい城郭であった。この地は、伊勢本街道が走り、吉野と伊勢の交通路の便が良いということからここに拠点が置かれたと思われます。北畠神社参道入口の朱塗りの鳥居と火...
東海

伊勢は津でもつ津は伊勢でもつ 高虎の居城 津城

織田信包(信長の弟)が天正8年(1580)に津城を創築。以後、 津は城下町として発展。その後、藤堂高虎が四国伊予の今治(愛媛県)から移封、 慶長16年(1611)に大規模な改修を行い、北側の石塁を高く積み直し、その東北と西北の両すみに三重の...