歴史を訪ねる旅

兵庫県

古代大輪田泊の石椋 遥かな昔の港をしのぶ

わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。清盛が描いた夢の跡をたどってみた。今回は古代大輪田泊(おおわだのとまり)の石椋(いわくら)。この石椋は昭和27(1952)年の新川運河の拡張工事の際に松丸太の棒杭とともに出土した石椋と推定される...
兵庫県

熊野神社 「親しまれる権現さん」

わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。清盛が描いた夢の跡をたどってみた。今回は平清盛が、福原遷都の際紀州の熊野権現を勧請したという 熊野神社。地元では、「夢野の権現さん」として親しまれている。平清盛が福原遷都の際、周辺に多くの寺や神...
兵庫県

薬仙寺 平清盛の別荘「萱の御所」跡

わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。清盛が描いた夢の跡をたどってみた。今回は福原遷都の際、清盛が後白河法皇を幽閉したと伝えられる「萱の御所」跡幕末、初代英国公使オールコックがこの薬仙寺に宿泊したとか。天平十八年(746)に行基(ぎ...
兵庫県

源義経デビュー戦の地 一ノ谷を行く

須磨は源平の古戦場として有名で、敦盛、直実の死闘、義経の「鵯越の逆(坂)落とし(ひよどりごえのさかおとし)」等々華やかな物語が沢山ある。今回は鉢伏山から須磨寺まで義経のデビュー戦の様子を探ってみた。源平攻防の舞台となった須磨一ノ谷にある敦盛...
大阪府

住吉大社の一寸法師伝説

一寸法師の話は室町時代に作られた「御伽草子(おとぎそうし)」の中にあるが、二人が願をかけた神社が大阪の住吉大社なのです。話の最後は「住吉大社に誓いをたてれば、将来、必ず栄える」という内容の言葉で結ばれている。住吉大社の末社「種貸社」は、商売...
滋賀県

姉川の戦い

「姉川の戦い」という呼称は元々は徳川氏の呼び方であり、布陣した土地名から織田・浅井両氏の間では「野村合戦」、朝倉氏では「三田村合戦」と呼んだ。朝倉氏の家臣・真柄十郎左衛門が大刀をふるって奮戦した血原の決戦場です。現在は『ちはら公園』となり駐...
大阪府

義侠木津の勘助の地をゆく

木津勘助(本名・中村勘助)は、慶長から元和にかけて活躍した土木技術者で、木津川を開削して勘助島(現・浪速区大国町)を開発した。寛永16年(1639)に大坂が冷害で大飢饉となった際、私財を投げうって村人に分け与え、それでも足らないということで...
和歌山県

熊野速玉大社で過去を捨てる

熊野三山にお参りすると、その人の過去におかした罪がなくなり、これからの幸福の実現や亡くなってから極楽に行くことができるといわれています。熊野速玉大社を参詣すると「現在」のご利益、熊野那智大社は「過去」のご利益、そして熊野本宮大社は「未来」の...
東海

兵どもが夢のあと 関ヶ原合戦地をゆく

天下分け目の関ヶ原、用意周到、細心の注意で臨んだ家康と、自分の才能を頼み、策におぼれた三成の戦いでした。家康は関ケ原合戦早朝に、赤坂から桃配山に兵を移動し、桃配山の中腹に陣を敷きました。この山は、関ケ原合戦以前の壬申の乱にて、勝者である大海...
大阪府

熊野御幸記を歩く①八軒屋浜~住吉大社

実は熊野古道大阪編は5月5日に第一回が始まったのですが、どうも歩き通す自信がなく、ブログを書き渋っていました。先日第4回まで65㎞を何とか歩き通せたので何とかなるんじゃないかと掲載を始めた次第です。熊野詣は城南宮(鳥羽離宮)を出立、舟で淀川...
奈良県

興福寺塔頭摩尼珠院の跡に造成された吉城園

興福寺塔頭摩尼珠院の跡に造成された吉城園吉城園は、二月堂の辺りを源流とする小川で、この吉城園の脇を通る「吉城川」からこの名を付けたのでしょうか。名勝依水園西南にあり、万葉集にも詠まれた宣寸川(吉城川)に隣接している庭園。当園の日本庭園は自然...
奈良県

古代史ミステリー 壬申の乱と女性たち-1

この記事は誤って消去してしまった記事の再掲です。画像は2012年10月11日訪問時のものです。ミステリアスなこの時代、皇位争いに矮小化してみている限り、いわゆる「壬申の乱の謎」がついて回ります。東アジア状勢と列島全域を視野にした中で、古代の...